国内 2021.09.03
号泣しながら食べたアイスクリーム。桑井亜乃(元女子セブンズ日本代表)、引退とレフリー挑戦を語る

号泣しながら食べたアイスクリーム。桑井亜乃(元女子セブンズ日本代表)、引退とレフリー挑戦を語る

[ 編集部 ]



 落選は、何度経験しても悔しかった。仕方ないと思ったことは一度もない。
 そのたびに、また這い上がろうと決意した。
 屈しない気持ちの強さも、「最後まで変わらなかった」。
 それこそが桑井の価値だ。

 今春、アルカスの練習試合の時、円陣の中で怒った。相手を格下に見ている仲間がいるような空気を感じたから、「そんな気持ちがあるなら帰れ」と言葉を荒げた。
 最後まで成長し続け、いい選手になっていた。代表コーチは気づいていてくれたかな。

 今年3月、ひと回り年下の選手もいるSDS(セブンズ・デベロップメント・スコッド)合宿に招集された。オリンピックスコッドと練習試合で対する機会を得た。
 そこに呼ばれるということは、まだ脈があるということだと理解した。
 1日に6試合のハードなスケジュールも、集中力を高め、やれることはやった。

 いつだって、以前より成長している自分がいるようにしてきた自負がある。
 リオ五輪の時より、いろんなことができるようになった。あのときと同じような強さだってある。
 それらを振り絞ったけれど、選ばれなかった。結局、最後までコーチ陣が求める自分にはなれなかった。最後まで正解が分からなかった。

「ラグビーをやって、人の痛みがわかるようになりました。人と寄り添うことの素晴らしさも。優しさも」
 人生の難しさも、楽しさも、いろんなことを、たくさん学んだ。

「五輪は私にとって、思っていた通り、いや、それ以上の舞台でした。いろんな人たちの笑顔に多く触れられた。その笑顔が頭の中に浮かぶ瞬間が本当にあった。あの感覚をもう一度味わいたくて、東京も目指していたと思います」
 ラグビーをやって幸せだった。

 引退発表とレフリー挑戦を表明したら、すぐに大勢の人たちから連絡が届いた。
 おつかれさま。
 ありがとう。
 うちのチームに来て、レフリーやってよ。練習してよ。
 嬉しいメッセージを見ながら、自分はひとりでは生きていない、生きてこられなかったとあらためて感じた。

 新しいチャレンジを始めるのは、以前、トップアスリートからレフリーに転じるプロジェクトの候補者として声をかけてもらったことがきっかけだ。
 今年になって高校セブンズ大会のサポートをしたり、女子大会でアシスタントレフリーを務め、少しずつ新しい世界にコミットする機会を増やしてきた。

 周囲より遅くラグビーを始めた分、ルールブックを熟読した経験はある。しかし、「自分がレフリーなんて、以前なら考えたこともなかった」。
 それが本音だ。

 挑戦が決まってからラグビーの見方が変わった。アルカスの練習で笛を吹くこともあるけれど、選手時代は「レフリー!」と相手の反則をアピールしていた自分なのに、笛を手にした途端にそれが見えない自分がいることに気づく。

「これまで文句を言ってごめんなさい、と反省しています。内部に入って、レフリーの人たちが試合ごと、大会ごとにたくさんの時間を使ってレビューしていることもあらためて分かりました」

 2024年(パリ五輪)まで、時間は僅かしかないのに、レフリーとしてそこに立つためには、やるべきことは山積み。レフリー活動に専念する3年間を過ごすつもりだ。
 世界と戦ったオリンピアンが、レフリーとして、その舞台に戻る。
 これまで同様、人生をかけて取り組む価値がある。

 東京オリンピック、サクラセブンズの試合は、リオ五輪に出場した仲間と3人でテレビ観戦した。
 みんな必死に戦っていた。このチームが日本で一番なのだから、それで勝てないのだから仕方ないね。自分にそう言い聞かせて画面を見つめた。

 3年後のオリンピック時はどこにいるだろう。
 選手たち、あるいはピッチを見つめる人たちが、あのレフリーはリオ五輪にはプレーヤーとして出場したんだよね、と覚えていてくれるかな。
 そうなった結果、あとに続く人たちが出てきてくれたら嬉しい。

 桑井レフリーのジャッジだから信頼しよう、と思われるように頑張らなきゃ。
 そのときもまた、応援してくれた多くの人たちの顔が頭に浮かぶだろうな。

1989年10月20日生まれ、31歳。三人姉妹の末っ子。女子15 人制日本代表のキャップも1つ持つ。(撮影/松本かおり)

PICK UP