本番直前に故障も最後まであきらめなかった。キヤノン庭井祐輔、日本代表への視線。
東京は味の素スタジアムのスタンドにいたあの日の心境を、慎重に語る。
「ずっと目指していたので。負けた時は、唖然としたというか、なくなってしまったんだという、呆然とした気持ちになったのは、いまでも覚えています」
2019年10月20日、キヤノンイーグルス所属の庭井祐輔は、ラグビーワールドカップ日本大会の準々決勝を観ていた。
ノーサイド。3-26。初の8強入りでブームの渦中にいた日本代表が、後に優勝する南アフリカ代表に敗れる。
それは庭井の大会出場への挑戦が終わったこと、つまり「なくなってしまった」ことも意味していた。あれから約10か月が経った2020年8月下旬、こうも述懐する。
「ほっとしたというのは違うのかもしれませんが、ある意味、肩の荷が下りた、とも」
小学5年で地元の西神戸ラグビースクールに通い始め、兵庫の報徳学園高、立命館大を経て2014年にキヤノンへ入社した。サイズは現在の公式で「身長174センチ、体重95キロ」。国際舞台にあっては決して大柄ではないが、HOとしてスクラム最前列の中央で低い姿勢を取り、大男の懐をえぐるような突進、タックルを繰り返す。
2016年秋に発足したジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチ体制の日本代表へは、2017年に初選出された。一時は主力候補にもなった。前ヘッドコーチで現在イングランド代表を率いるエディー・ジョーンズからも、当時、こう評されていた。
「庭井に感心しました。いまのベストなHOではないかもしれないですが、潜在的に2年後にはベストになっているかもしれない」
その年の夏には、代表と連携するサンウルブズのゲームで左足首を脱臼骨折。社員からプロに転じた2018年には戦列へ戻ったが、まもなく、悲運と出くわしてしまう。
ワールドカップイヤーに突入した2019年1月。アピールの場に指定されたサンウルブズの練習場で、右のアキレス腱を断裂したのだ。
「(2017年の故障後は)不安なく治ったと言えるわけではない状態で復帰していたので、ある意味、負担がかかった部分はあるかもしれないです」
思い返せば、走りながら方向転換をする時に右の足首ばかりに体重をかけていたような。時間が経てば「自分の身体を見直すきっかけにはなった。あながち悪いことばかりではない」と振り返ることもできるが、この時は夢の大舞台の直前期だ。気が遠くなっても、不思議ではない。
それでも庭井は、目標を変えなかった。けがをした1月時点の診断は「全治6か月」。そうだ。夏に復帰できるのなら、9月下旬からのワールドカップでもプレーできるではないか。
「最後までワイダースコッド(候補)には残してもらっていた。ワールドカップ、ワールドカップ…と。モチベーションを切らさずにやっていました」
手術を終え、退院できたのは2月、もしくは3月だったか。キヤノンはシーズンオフに入っていたが、庭井は誰もいない都内の本拠地で走り、鍛えた。通称「ジェイミージャパン」でのプレー経験も多いだけに、仲間たちがどんなメニューに取り組んでいるかは想像がついた。そのためこの時も、代表と同種のトレーニングができていたと感じている。