【ラグリパアンケート結果】 もう一度見たい!ワールドカップ名勝負は?
全スタジアムが満員だった。地元の子どもたちが出場20か国のアンセムを歌った。国々と日本の交流は大会後もほのぼのと続く。第9回まで重ねたラグビーワールドカップの歴史においても特別な大会となった2019年ラグビーワールドカップ日本大会。この日本でも多くの人がラグビーに関心を持った。コロナ禍の今こそ、ラグビーワールドカップの歴史とジャパンの歩みを振り返ろう。今回は、ユーザーへのアンケート・ランキングでオールタイムの名勝負を振り返る。 *アンケートにお答えくださったユーザーの皆様、たくさんのコメントをお寄せいただき、ありがとうございました!
アンケートで集まったユーザーの声は、その一つひとつがラグビーをめぐるストーリーだ。第1回の1987年から2019年、この33年間の間に生まれたファンもいる。ラグリパ・ユーザーに行ったアンケートから、ラグビーワールドカップ(RWC)名勝負ベスト5を見ていこう。4位は2試合が並んだ。
4位◉1991年大会 日本 52-8 ジンバブエ
「名将と名手。必然のビッグウィン」
「なんといってもRWC初勝利。大学生のとき感動してみていた。ここから先が長かった…」(いばっち/神奈川県/48)
「1991年RWCへの取り組みを継続できていたら、1995年のブルームフォンテーンの悲劇はなかった」(匿名)
大会関係者は、この試合を英国の子どもたちに観てもらえてよかった、とメディアに伝えた。北アイルランドはベルファスト。レイヴェンヒル の小さな競技場、すでに決勝トーナメント進出の消えたチーム同士の対戦。それでも集まった9000人の観客は、大会未勝利の日本のアタックに沸いた。重ねたトライは9で第2回大会の1試合最多トライ記録だ。試合後、現地のラグビーファンは興奮でピッチになだれ込んだ。
太田治、田倉政憲の両PR、LO林敏之、FL梶原宏之らFW陣が果敢に、そして運動量豊かにボールを獲り続けた。SH堀越正巳が神業の素早さでボールをパスアウト、平尾誠二&朽木英次のCTB陣がチャンスを演出、WTB吉田義人は相手ディフェンスを切り裂くランで2トライを奪った。
すべては宿沢宏朗監督の2年半に及ぶ強化の賜物だ。セレクション、情報収集、マッチメイクまで、この大会の勝利のために準備を尽くした。91年3月にはジンバブエと日本B代表の練習試合を敢行、情報収集と分析の末のBK勝負。後半7トライの猛攻は、日本の戦い方が、相手の戦意を削ぐほど的を射ていたことを物語る。
「試合が進むうち、みるみる自信が崩れていった。一生懸命タックルしたつもりだが、日本はどこからでも攻めてくるのでどうにも防ぎようがなかった」
ジンバブエのブライアン・カリン主将は試合後に語った。(*1)
4位◉1995年大会決勝 南アフリカ 15-12 ニュージーランド
「最強同士が激突。世界史の出来事」
「南アフリカの国歌もNZの国歌も歌えるようになり、大人になった今、子ども達と一緒にあらためて見たい」(ともさん/滋賀県/42歳)
「生まれて初めて見た延長戦。足が攣ってもピッチに戻っていく選手。fulltimeノーサイドで十分じゃないかと違和感を持ちつつ、感激」(Gomi/京都府/69)
勝ちたい。勝たねば。負けられない。戦う者同士にかかるプレッシャーが強くなるほど、その勝負もまた重く厚みを増す。ラグビー史上、別格の強豪とされる二つの国がRWCの頂上で激突することになった。
1995年の大会は優勝した南アフリカ、マンデラ大統領の大会でもある。人種隔離政策に伴う国際制裁から、RWC初出場となる南アは、この大会に向けて国をあげた強化を結実させようとしていた。それは、新たな国家の指導者を先頭に新たな歩みを始める南アを後押しする面があった。NZとの決勝は、いちスポーツを超えた国家事業。感動的だった開始直前のジャンボジェットの飛来、機体の腹に書かれた「GOOD LUCK BOKKE」の文字が印象的だ。しかしその素敵なアクシデントも、映画「インビクタス」で描かれたようなパイロットの善意ではなく、秒単位で計画された演出だったという(*2)。
そして、RWC1995はもちろん、ラグビー界では「フェノメノン」ジョナ・ロムーの大会だ。196センチ、120キロの体躯の高速移動は世界を沸かせ、立ちはだかるディフェンダーを文字通りになぎ倒して決勝に導いた。見どころは、それでもロムーを止めた南アのタックルの雨。188センチのSH、ユースト・ファンデルヴェストハイゼンの勇敢な血を這う一撃は、勝敗に影響した。