国内 2020.06.06

密に過ごした1年に「後悔なし」。 束田涼太(宗像サニックス)

[ 編集部 ]
密に過ごした1年に「後悔なし」。 束田涼太(宗像サニックス)
182センチ、117キロの24歳。トライアウトからの挑戦だった。(撮影/BBM)



 のんべんだらりと1年を過ごしたのなら、誰も気にかけなかったかもしれない。
 濃密に、誠実に過ごす姿を見てくれている人がいたから、スパイクを脱いだ後も声がかかった。

 宗像サニックスブルースの2019年度ルーキー、束田涼太(つかだ・りょうた)はいま、1年間のプロ選手生活を経て、ピッチを離れた。サニックスの社員として働いている。
 本人が、この1年を振り返る。
「レベルが高かった。それが率直な感想です。ケガもありました。思うようにプレーできなかった期間が長かった。でも、やれることはやったので、この1年は濃かった。チーム環境もよく、退団した後も先輩、同期が声をかけてくれました」

 専修大学時代、トップリーグの合同トライアウトを受け、ブルースから声がかかった。「(トライアウト時の試合メンバーにも恵まれて)運が良かった」と話すも、182センチ、117キロの体躯は魅力的だった。
 東京の出身。福岡へ向かうことに迷いはなかった。
「チャンスがあるのに、それを選ばないで後悔することだけは嫌でした。どういう結果になろうが挑戦しよう、と」
 ピッチに立ったのは、オープン戦の3試合だけ。でも、努力とチャレンジの結果なら納得できる。

 サッカー少年だった。しかし、目黒学院高校でラグビーを始める。当時の幡鎌孝彦監督に「きみ、デカいな。ラグビーをやれば、その体ならどこの大学でも進学できる」と言われ、楕円球を追うことにした。
 同監督は、専修大学へ導いてくれた。
「(専大の)村田亙監督に、(FWの)1番から8番まで、どこでもできるんだ、と言ってくださったんです。3番とロックしかやったことがなかったのに」
 それでも大学時代は、関東大学リーグ戦2部にいたチームを1部に昇格させる力のひとつになった。責任と準備の大切さを学んだ。

 わずかな時間でピッチを離れることになり、「力がなかった」と誰のせいにもしない。ただ、「気持ちが変わった」と話す。
 自分の強みはどこだ。そう考えたとき、 1年前は分からなかった。
「そうだったのに、自信がつきました。練習の中で、自分のトップスピードが他の人より上回っていると感じることがありました。そう思ってからは、そこを活かそう、もっと高めようと思い、取り組めた」
 自分はここで勝負する。そう信じて鍛錬を重ねた経験は宝。
 今後の人生をきっと支える。

 サラリーマン生活ではまだまだトップスピードでは走れないけれど、「自分の身になると思っています」と前向きに、日々を過ごしている。
 誠実さは社会の中で生きるとき、大きな武器になる。フロントローとして損だったかもしれないベビーフェイスも、周囲にかわいがられる要素になるかも。
 笑顔の大男は、人気者になることが多い気がする。

愛称はツカちゃん


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