【ラグリパWest】ラグビーの王国で自分を磨く。 水谷咲良(ハミルトン・ガールズ・ハイスクール)
14歳になって2か月ほど。
当時まだ中2。水谷咲良(さくら)はたったひとりでニュージーランドに渡った。
「ラグビーで自分が強くなりたかった。留学で変われるかなあと思いました」
ハミルトン・ガールズ・ハイスクール。地元では「ガールズ・ハイ」と呼ばれる公立の女子校に転入する。
2年を過ごし、来年2月から現地で「イヤー・トゥエルブ」(12年生)と呼ばれる高2生になる。新学期は日本より約2か月早い。
さくらはラグビーを通して、言葉や文化の壁を乗り越えた。
9月の15人制の全国大会では頂点に立つ。4チーム参加の「New Zealand Barbarians National 1st XV Championship」に165センチの俊足WTBはスタメンでフル出場。チームは2戦とも50点ゲームで圧勝する。
日本人はさくらのみ。
「優勝して率直にうれしかったです」
目じりが下がり、あどけない笑顔が現れる。
さくらが栄誉に浸るまでの道のりは当然のことながら平たんではなかった。
「最初、英語は全然しゃべられませんでした。使えた言葉は4つだけでした」
My name is Sakura.
Yes or No.
Thank you.
さくらは振り返る。
「最初の1か月くらいは毎日泣いていました。帰りたい、帰りたい、って言ってました」
涙声の電話を受けた母・愛はそのたびに同じ言葉を繰り返す。
「それやったら帰って来るか?」
さくらは「うん」とは言わなかった。女子の意地があった。
「寮では日本から持ち込んだワークブックを必死でやりました。しばらくすれば日本人の留学生とも日本語で話さなくなりました」
語学習得で大切なことは、その言葉をシャワーのように浴び、母国語を使わない。その真理を悟る。
3〜4か月で少し聞き取れるようになる。若年の脳は柔らかく、吸収性に富む。日本で英会話に通った過去もあった。ラグビー用語が共通だったことも救いになる。
当時は生きることに必死。今では周囲のすみずみまで目が届き、自分の意見を持てるようになった。
「もっと量を増やしてほしいです」
ラグビーの練習日は週2回。月と金。15時40分から17時までの1時間20分しかない。
若干の不満は持ちながらも、その少なさを補うため、寮の共同スペースで腹筋、腕立て伏せ、スクワットなどをこなしたり、寮や学校の周りを走ったりした。
「自分で考える力がついたと思います」
自主性がこれまで以上につく。日本とは違う部活動との向き合い方に磨かれる。
課外活動としてのラグビーの人気は当然ながら悪くはない。
「部員は7人制が15人、15人制は30人くらいいいます。顔ぶれが違います」
さくらはどちらもこなしている。