「ラグビーのおかげで生きていた」。城東高の渡辺開世、苦難を乗り越え花園で躍動。
本当に試合ができてよかった。徳島は城東高の渡辺開世が、12月28日、全国高校ラグビー大会の1回戦に先発。春には交通事故で生死をさまよった背番号13は、「3年生なので悔いが残らないように、全力でプレーします」といまを楽しむ。
春の全国選抜大会では、テニス部からの助っ人を出場させながら2勝。現在も部員数22名と少数精鋭ながら伝統のタックルと軽快なパスワークで光る城東は、この午後も躍動した。
大阪・東大阪市花園ラグビー場の第2グラウンドで迎えたのは、日本代表の稲垣啓太の母校で16年連続44回目の出場の新潟工。城東が先制したのは前半3分だった。
LOの安部伊吹、NO8の橋本青空が自陣10メートル線付近左中間でのダブルタックルで攻守逆転し、CTBの山上智広が右奥のスペースへキック。相手の蹴り返しを受けたSOの三木海芽主将はハーフ線付近右からカウンターアタックを仕掛け、山上、WTBの岡秀真と順に右タッチライン際までボールをつなぐ。敵陣の深い位置へ入る。
軽快にフェーズを重ね、三木は左方向へのループプレーでさらにチャンスを広げる。いったん渡辺にパスをつなぎ、その大外へ回る。渡辺は相手防御へ果敢に仕掛けてオフロードパスを放ったため、三木は余裕を持って持ち前のフットワークを披露した。最後は橋本がトライを決めた。
「FWが身体を張ってディフェンスしてくれて、BKがスムーズにトライまで(ボール)をつなげられた。攻守とも、チームでプレーできました」
殊勲のアシストを決めた渡辺は、タフにタックルし続けて21-7で勝った試合展開をこう総括。一般入試を控え受験勉強も怠らぬ13番のあの一件について、三木はこう回想する。
「信じられなかったですし、つらかった。最初は戻って来られないような重体でしたが、返ってきてくれて嬉しいです――」
春の某日。就任2年目の伊達圭太監督は胸をざわつかせた。部員へ「これ以上、けが人は出せない。事故には気をつけるように」と訓示したが、その心は「何か、起きそうだな」。翌朝7時頃、補習授業を受けるため自転車を走らせた渡辺が自動車と激突。チームメイトの三木は報せに耳を疑い、本人は胸骨と鼻の骨を折って鎖骨にもひびが入った。何より意識が戻るまで、1週間の時間を要した。
最初に医師から告げられた入院期間は3か月。もうラグビーはできないと言われた。しかし渡辺は、ラグビーをあきらめなかった。
まず「勉強についていけなくなる」ことも懸念し、1か月での退院を希望。復学後はすぐに部活へ参加し、状態のよかった下半身の鍛錬や走り込みに精を出した。自分の持ち味である「スタミナとタックル」のうち、「スタミナ」をもとに戻したかった。
ここまで競技継続に情熱を燃やすのは、ラグビーへの深い愛情ゆえだ。中学までサッカーとバスケットをプレーした渡辺は、稲垣宗員トレーナーの勧めで城東に入り雰囲気のよかったラグビー部の門を叩いている。他競技とは違う「激しいところ」に魅せられ、やがて不動のレギュラーとなった。
「きついとは思うんですけど、その分、楽しめるのが魅力です」
復帰は難しいと、誰もが思った。しかし、誰よりも渡辺自身が復帰できることを信じた。そして、県予選を間近に控えた10月。ついに全体練習に復帰した。伊達監督にはこみあげるものがあった。本人はこうだ。
「事故をした時も、普通の人だったら死んでいて、生きとったとしても病院生活になっていたと言われました。でも、ラグビーで身体を強化したおかげで車にぶつかっても生きていた。いまも、皆と変わらない生活をできています。ホンマに、ラグビーに感謝しています」
ラグビーで命をつないだ思いを、生きた言葉で表す渡辺。30日に第3グラウンドである2回戦では、石川の日本航空石川と激突する。相手の擁する留学生選手へも強く、ぶち当たる。