国内 2019.03.22

「私は、ぶれない」 日本ラグビーへの恩返し(2)

オツコロ カトニ(~2018年度クボタスピアーズ)

[ 編集部 ]
「私は、ぶれない」 日本ラグビーへの恩返し(2)
クボタ・スピアーズで13年間使ったロッカー。オツコロ選手がクボタスピアーズを退団(撮影:BBM)

 トンガから埼工大深谷へ留学、埼工大に進学したオツコロは、2006年にクボタに加入した。当時すでに日本代表にも選ばれていたが、当初は社員選手としてチームに加わったカトニ。間もなくプロ選手となり、チームに大きな影響力を持つ存在になった。牧歌の時代から、プロ選手や海外のトップ選手も急増した近年まで、チームに請われ13年間の在籍をまっとうしたトンガ出身選手。そのバックグラウンドと、プレー継続を望む心境をきく。(全2回)。


 決めたことは必ずやり遂げる。


 ぶれない、という言葉でその矜持を表し、幼い頃からの境遇もあってラグビーと厳しく向き合ってきたカトニは、大学を無事卒業し、トップリーグの社会人ラグビーに進んだ。そこは彼にとって、いっそうの責任感を求められる舞台だった。

「トップリーグはやはり仕事です。大学生と違って責任が重い。いろんなものが重い。試合は、一つひとつが勝たなければならないマッチ。そのチャンスを逃したら自分の責任です。試合だけじゃなく練習も重い。私は、毎日家に帰り着くまですべてが仕事だと思っています。いつも気を張っている」

 どうしてそこまでストイックに。なんども同じことをききたくなってしまう。

 小さな頃からそうしてきたから慣れているんです。カトニは事もなげに、13歳からの生活について話した。

最年長の親分として、日本選手も海外選手も一目置く存在。写真は2013年・近鉄戦(撮影:菅原淳)
最年長の親分として、日本選手も海外選手も一目置く存在。
写真は2013年・近鉄戦(撮影:菅原淳)

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