その他 2019.01.25

復活の物語。

ブランドの求心力×ファンの思い。 YASUDAが16年の眠りから覚めるまで――。

[ 編集部 ]
復活の物語。

 ツヤのある黒革と、側面にあしらわれたカーブを描く2本線。オールドファンにはおなじみの伝説のスパイクが、ピッチに帰ってきた。

 日本初のフットボールスパイクメーカーとして1932年に創業したYASUDA(当時は安田靴店)は、上質なカンガルー革を使った丈夫でしなやかな作りと、国内企業ならではの日本人の足にフィットする履き心地で、ジュニア層からトップ選手に至るまで絶大な人気を誇った。1936年のベルリン五輪では、サッカー日本代表の8割以上の選手がYASUDAのスパイクを着用。ラグビーでも、スパイクはもちろんジャージー、短パンなどのウェアやボールまで、YASUDAのギアは多くの愛好家に親しまれた。

 しかし海外企業の相次ぐ参入で業績が低迷し、2002年に倒産。シンボルの2本のライン(エクセルライン)は、フットボールの現場から姿を消してしまう。

 なんとかもう一度、YASUDAのスパイクを復活させたい。そんな思いから立ち上がったのが、自身もサッカー経験者でYASUDAのスパイクを愛用していた佐藤和博氏だった。広告やWEBコンサルティング等の事業を展開する佐藤氏は、2017年にスポーツと健康に特化したクラウドファンディングを扱う会社「ROUTEF(ルートエフ)」を設立。その第1号案件として、YASUDAの復刻プロジェクトを掲げたのだ。

PICK UP