コラム 2025.10.30

【コラム】あの日から10年後の再戦を前に。日本代表の機微。

[ 向 風見也 ]
【コラム】あの日から10年後の再戦を前に。日本代表の機微。
強豪国とのタフな4連戦を控える日本代表のエディー・ジョーンズHC。第2次政権2季目の手腕はいかに(撮影:イワモトアキト)

 無理なものは仕方がない。

 取材予定だった現地時間11月1日キックオフの日本代表対南アフリカ代表戦(ロンドン・ウェンブリースタジアム)をカバーできなくなった。パスポートの期限が5月に切れていたと渡航数日前に思い出したのだ。

 そもそもこの80分は、2015年のワールドカップイングランド大会で日本代表が同カードをものにしてから10年が経ったのを記念しておこなわれる立て付けだった。

 あの時は、4年に1度の大舞台で通算1勝だったチャレンジャーが、当時優勝2回の強国を破った。

 その史実をもとに今秋は何度も「あれから10年」と執筆したにもかかわらず、その大会前にアップデートしたパスポートも「あれから10年」だったのを想像できなかった。

 いったいなぜ、かくも直前になるまでこの問題に気づかなかったのか。

 いったいなぜ、そこまで無自覚であったのに空港に出かけるより前には発覚したのか。

 そのあたりの詳細は別稿、もしくは11月7日の都内郊外でのイベントに譲るとして、タフな一戦を控えての国内取材成果を駆け足で振り返りたい。

 エディー・ジョーンズHC体制2シーズン目のジャパンは、10月6日から大分、宮崎でフォワード、バックスが分かれてキャンプを始めた。

 12日までには全ポジションの面々が宮崎に揃い、予備軍格のJAPAN XVも混ぜた。16日まで滞在し、25日の日本代表対オーストラリア代表戦、さらには、18日のJAPAN XVの対オーストラリアA代表戦の準備を並行して進めた。

 後者はたったの1週間弱で、日本代表を交えてのラインナップの選考、実戦練習における基本戦術のすり合わせをした。駆け足で当日を迎えたわけだ。しかも、その隊列の一部は国内リーグワンでレギュラーに定着する前である。正代表も絡めたオーストラリアA代表という壁は、決して低くはなかった。

 ノーサイド。7-71。各国でジョーンズの腹心となってきたコーチングコーディネーターのニール・ハットリーは、指揮官役を務めたオーストラリアA代表戦後にこう発した。

「タフな1日だった。相手は強い。こちらは準備期間が短かったうえ、大学生を含めた若いチーム。今週の努力に誇りを持っています」

 取りようによっては、もともとこうなることを覚悟していたかのような言い回しだ。

 ハットリーは別の場所で、かようにジョーンズを代弁している。

「意図的に若い選手を集めて、育成させようとしています」

 今度のことは、強化の一環としてやむなしと捉えられそうな一方、このチャレンジが有料観客を集めていた点は無視できなさそうでもあった。

 いずれにせよこのおかげで、多くのファンは感情のうねりを経験できたかもしれない。「来週のワラビーズ戦が心配」とやきもきし、25日には国立競技場での正代表の働きに大興奮するというアップダウンである。

 日本代表はJAPAN XVと顔を合わせる前から主な顔ぶれを揃え、想定されるテンポの緩急、組織防御を整えてきた。かたや通称ワラビーズは、先のゲームから大幅にスタメンを入れ替えていた。来日後は、この国の居酒屋文化にも親しんだという。

 果たして当日、ホスト国がタックルの雨を降らせた。

 15-19。

 劣勢だった序盤は先方のミスもあって3-14と耐えることができ、終盤は向こうの足が止まったとありあと一歩で勝ち越せそうだった。

 ジョーンズは強調する。

「残念な結果。ただ嬉しく思うことは、ファイトし続けたことだ」

 つくづくラグビーは、場合によっては全てのスポーツやエンターテイメントは、その分野における原理原則、観察対象の背景をどこまで把握しているかで鑑賞時の解像度が激変する。

 ライターが選手やコーチに質問するのはそのためだ。少なくとも筆者はそうだ。

 最近では、ありがたいことにチームがインタビューに協力姿勢を打ち出してくれる。これなら、意識ひとつでこちらと現場との認識のずれを最少化できる。 

 秋から突如、アタック担当のアシスタントコーチ、ダン・ボーデンが来られなくなったことは、宮崎合宿の模様が公開された14日にわかった。

 母国ニュージーランドにいる「家族の事情」でその決断が下ったのだと、永友洋司ナショナルチームディレクターは説明した。

 事実上の退任がいきなり決まったのを受け、正スタンドオフの李承信は「アタックコーチがいないぶん、(攻めの)プラン、フィードバックについてしっかりリードしないといけない」。語ったのは宮崎滞在中。別な記者の個別取材の後、その場にもう数分、留まって、こちらの問いに応じてくれた。

 その際のやりとりで興味深かったのは、ジョーンズとの逸話ににじむ人間性だ。

 JAPAN XVのオーストラリアA代表戦の当日に兄の結婚式があると、アメリカでパシフィック・ネーションズカップに挑んでいた8~9月のうちにさりげなく相談したという。

「だいぶ、勇気がいりました! かなり早めに言いました。『ファミリーファースト。行ってきていい』と。よかったです」

 この手の交渉技術は、グラウンド上の状況判断の仕方とリンクしていなくもないようだ。

「(肝は)人の気持ちを考えているか、だと思います。(自身は)相手の考え方、思っていることを気にするタイプなので。(球を運ぶ)方向を選ぶ時に流れを読みやすいというか、全体を見る感じには、繋がっているんですかね」

 さかのぼって大分のフォワード合宿で感銘を受けたのは、江良颯の心象風景だ。

 大学トップ級のフッカーとして’24年にクボタスピアーズ船橋・東京ベイへ入り、実質1年目のシーズンでは南アフリカ代表の主軸たるマルコム・マークスと定位置を争った。

 世界最強と呼ばれる巨象に多くを学びながらも、彼我を比べて「こんなに、えげつないんや…」と茫然としたようだ。

 失われた自分への期待を取り戻す意味で、PNCで活躍できたのは大きかったと述べる。

「試合を重ねるうちに自信がついてきた分、落ち着いてできました。ボールキャリーで相手をドミネートする、接点の起こるシーンでは絶対に勝つ、と。だから力強いプレーができたのかなと」

 江良はワラビーズ戦でも、両軍最多となる24本のタックルを決めた(RUGBY PASSより)。そのうちの複数は相手のミスを引き出した。マークスとの直接対決も待たれたが、29日出発のツアーへは行かないことになった。治療のためだ。

 ここのところジャパンでは、故障者が多い。

 ’27年のワールドカップオーストラリア大会をピークに定め、その時々の試合が迫るタイミングでも高強度なセッションを重ねているのは周知の通り。鍛えることと癒すことのバランスをどう取るかは、最後の最後まで検討課題となりそうだ。

 ジョーンズの盟友として肉体強化やコンディショニングに携わるジョン・プライヤーハイパフォーマンスコーディネーターは、秋のツアーには不参加。ちょうど病気に苦しんでいるためで、来年の復帰を目指しているとのことだ。その代役をオブザーバーという位置づけで擁立したうえで、ジョーンズは訴える。

「連戦でメンバーが代わるのは当たり前。それでも次の選手がその穴を埋める。それが、テストマッチです」

 これからの欧州遠征では、ワールドカップ2連覇中でもある南アフリカ代表を皮切りに、世界ランクで上回る4か国とぶつかる。

 遠征する計38名は、出国日の朝に発表された。関係者によると、パスポートのトラブルで帯同できない選手はひとりもいない。

【筆者プロフィール】向 風見也( むかい ふみや )
1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(共著/双葉社)。『サンウルブズの挑戦』(双葉社)。

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