【ラグリパWest】同志社、復活へ向けて…。

めしがよくなった。
永山宜泉(ぎせん)には狙いがある。
「まずは体を大きくしようということです」
今年2月、同志社の大学ラグビー部の監督についた。OBでもある永山は創部115年目の名門復活を託された。
サイズアップは格闘的要素が入るこのスポーツにとって欠かせない。ラグビー部専用寮では朝夕の2食が出る。7万円ほどの寮費は据え置き、永山は動く。6月、業者を変えた。8月、管理栄養士の山口友理恵が来る。
ある日の夕食の主菜はハニーマスタードチキン。副菜には豚肉と野菜のソテーとラタトゥユがつく。白ごはんとみそ汁はおかわり自由。お米の一部は大学OBの藤井勝也が15年近く無償で送り続けている。
寮長の立川和樹はニッコリする。
「おかずの量が増えました。味もいいです」
永山は先を見据える。
「いずれ、山口さんには食事コーチ的な感じで、部員たちについてもらうつもりです」
永山は食の大切さをまた仕事を通しても理解している。生業は和菓子屋。大阪で「まむ多」の名で2店舗を営んでいる。
改革は食事だけではない。寮の1階にある和室をウエイト部屋に改装した。ラックが4つ入り、ダンベルなどが並ぶ。いつでも肉体を鍛え上げられる。急峻な坂を上がり、20分ほどかけて京田辺のキャンパスにあるグラウンドまで行く必要はなくなった。
部員のために研修会も開く。各界で活躍するOBやその道の専門家を招く。このクラブをより深く知り、ラグビー以外の知識も得る自己啓発だ。今年3月に第1回が始まり、ここまで24回を数える。
永山は55歳。社会人のワールド時代には、HOとして日本代表クラスの選手だった。過去には母校でのコーチの経験もあり、監督就任前の3年間は摂南のスクラムを指導した。今どきの大学生のことはわかっている。
永山は就任時、部員たちと向き合った。
「ラグビーにしっかり取り組めないなら、勉強して簿記なんかの資格をとったらいい」
資格は身を助ける。アルバイトなら時給は1100円ほど。趣味にお金をかけてもいい。やるなら、真剣に。そして、勝ちにこだわる。結果、10人ほどが部を去ったという。
部員たちに奮起をうながすだけのことを永山はしている。1日2回、大阪と京都を車で往復する。6時30分からの朝練習と17時45分からの夕練習のためだ。和菓子の製造や販売、配達はその間を縫ってする。
永山が伝えたいのは、この紺とグレーの段柄ジャージーはほかとは違う、ということである。大学選手権の優勝は西日本最多の4回。その3連覇は1982年度から。大会は19~21回だった。大学ラグビーで「早慶明同」のくくりができたゆえんである。
同志社の3連覇は帝京の2009年度から始まる9連覇の前には最長だった。その栄光から遠く離れ、一昨年の関西リーグは初の最下位8位。昨年は6位だった。
3連覇の時期、大島眞也という決定力のあるWTBがいた。主将の大島泰真はその甥である。キックやランに長けるSOだ。
「おじさんの頃に戻ってゆくところです。上を目指す集団にしてゆきたいです」
強い時代の話は聞いている。知っている。
おじさんの頃、主将は部員間の投票で決めた。3連覇目に主将についたのはPRの中村剛。「ミスターラグビー」と呼ばれるCTBの平尾誠二や日本ラグビー協会の現会長、NO8の土田雅人ではなかった。
今年、主将の選出を投票制に戻した。大島は得票数トップだった。そのことも踏まえ、同志社の伝統を永山は口にする。
「自主性ですね」
部員たち自らが決めた主将を頂点に、やらされるのではなく、やる。
自主性は同志社の中興の祖である岡仁詩の理念であると言っていい。3連覇時の部長で教授だった。日本代表の監督も経験した。18年前、78歳で世を去る。口ぐせがあった。
「やるのは学生や」
岡は大学生を社会に出る準備段階として大人として扱った。
その理念は、毎日グラウンドに顔を出せるOBコーチ2人、洒井優と廣田宗之にも受け継がれている。ともにこの大学の職員。洒井は45歳。ヘッドコーチと副部長を兼務する。
「責任ある自由」
洒井は言い、35歳の廣田は続ける。
「Something Different」
自由が独創性を生む。どちらもまた岡が愛した言葉だった。
ただ、今の大学ラグビーは学生任せで勝てるほど甘くはない。下地となるコンタクトやフィットネス、食事も含め、そのあたりは永山ら年長者が手伝う。あとは自分たちで考え、やりたいラグビーをやる。
同志社は今季のリーグ戦で1勝2敗。暫定5位タイだ。開幕戦の近大には29-12と勝利したが、関西学院には21-34、天理には18-58と連敗した。最初の4試合は前年の上位と当たるため厳しい試合が続く。
次戦、4戦目は京産大と戦う。10月26日、大阪の鶴見緑地で午後2時キックオフだ。
「勝つことしか考えていません」
主将の大島は力強い。
大島は近大戦では控えで後半出場、関西学院戦はWTBで先発、天理戦で初めて専門とするSOで先発した。
「SOへのこだわりはあるけれど、チームが勝てるなら何番で出てもいいです」
天理戦後の記者会見で話している。
大島には主将としての自覚がある。
「1年の時は自分がよければいいと思っていました。今はそうではありません。一番は勝つこと。そして大学選手権に出ることです」
大島たち4年生が大学選手権に出場できる関西3位内に押し上げないと、来春、初めて全国を知らない部員たちばかりになる。
大学選手権は今年、62回目。始まったのは1964年(昭和39)だった。そこで3連覇を果たした紺グレを貶めたくはない。まずは全国に出て、復活の足掛かりにしたい。その実現に永山も大島も日々を生きる。