コラム 2025.08.01

【ラグリパWest】父と妻をいだいて…。吉岡泰一 [ナナイロ プリズム福岡/チームディレクター]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】父と妻をいだいて…。吉岡泰一 [ナナイロ プリズム福岡/チームディレクター]
女子ラグビーチーム、ナナイロプリズム福岡の創設時からチームディレクターをつとめている吉岡泰一さん。的確なマネジメントに評価は高い。現役時代は延岡東、関東学院大、九州電力(現・九州KV)で活躍した

 吉岡泰一(たいいち)のラグビーシーンには父の浩一がいた。そして、妻の沙織がいる。

 黒縁の眼鏡の中の目は柔らかい。
「父のすすめてくれたラグビーでたくさんの仲間ができました。妻はよき理解者です」
 2人への感謝がある。

 吉岡は47歳。ナナイロプリズム福岡のチームディレクターだ。この女子ラグビーチームは過去最高タイの2位に入った。

 太陽生命シリーズの第2戦である。4戦制の国内最高の7人制大会は7月20、21日にあった。会場はミクニワールドスタジアム北九州。地元開催で健闘する。

 吉岡はバインダーノートを持って、グラウンド内外を動き回りながら、ファンサービスもする。記念撮影に応じ、「撮りましょう」とお返しも忘れない。ファンの声援が白基調のジャージーを後押しすることを知っている。

 吉岡のラグビー履歴は華やかだ。高校は宮崎の延岡東。関東学院に進み、最初の学生日本一やその連覇に貢献した。社会人は九州電力(現・九州KV)でプレーを続けた。

 延岡東で競技を始めたのは父の影響だ。
「父は嘉穂でラグビーをやっていました」
 この福岡の県立高校は旧制中学時代を含め2回、全国大会に出ている。

 延岡東では2回、全国大会に出場している。1年と3年時だ。最終学年は75回大会(1995年度)。1回戦で関商工に13-35で敗れた。吉岡はSOを任された。

 関東学院への進学理由はある。
「ウチの学校から毎年、2人ずつ獲ってくれていました。強いこともありました」
 もうひとりはNO8の服部勲則だった。

 監督は春口廣。練習は考えられていた。
「全体練習は2時間ほどでしたが、5人一組でランパスをしたり、動きっぱなし。練習でフィットネスがつきました」
 ランパスはボールをつなぎながら、100メートルの全力疾走を繰り返す。

 春口はキックに長けた吉岡をCTBに下げた。現役時代は177センチ、93キロ。競技はFWで始めたため、当たりの強さもあった。2年からレギュラーに定着する。

 その1997年度の大学選手権で初優勝を飾る。34回大会の決勝は明治に30-17。最終学年の36回大会は慶応に3連覇を阻まれた。決勝戦は7-27。慶応は創部100周年の節目の年だった。

 吉岡は関東学院の黄金期を作り出した功労者と言っていい。大学選手権の優勝は計6。これは16回の早稲田、13回の明治と帝京に次ぎ歴代4位の記録となっている。

 卒業後、2000年4月に九州電力に入社。ラグビーを続けた。
「春口先生の推薦でした。父から、九州に帰ってこい、と言われたこともありました」
 現役は9年間で最後の2年はトップリーグ。リーグワンのディビジョン1の前身である。

 現役を振り返った時、わずかに悔いが残る。
「キャップを獲りたかったですね」
 春口には言われた。
「日本代表の候補合宿を断っといたぞ。おまえは仕事がメインだろうから」
 師には業務に集中させたい親心があった。U23日本代表だった入社1年目、右ひざのじん帯を切ったこともあった。

 春口の見方は正しかった。会社では一般入社の社員と同じ業務をこなした。
「大変でした。今は自動化ですが、現場で電気の配線をつないだり、切ったりしました」
 体重は8キロほど落ちた。

 現役引退後、9年働き、2018年に退社した。
「妻の実家の仕事を手伝うためです」
 家業は不動産。ファミリービジネスのため、吉岡の力を必要とした。福岡から大学の4年間を過ごした神奈川に戻った。

 理由はどうあれ、その退社は衝撃を生む。
「驚かれました」
 九州電力への入社は勝ち組だった。当時はJR九州、福岡銀行、西日本新聞などと並んだ。吉岡の大学ラグビー同期は3人。明治CTBの松添健吉と法政PRの松尾健一。松添は今、九州KVのチームマネージャーである。

 妻には実家に入ってくれた感謝がある。
「ラグビーの仕事をしたら」
 背中を押してくれた。2019年秋の日本開催のW杯はボランティアのとりまとめなど、会場サービスを手伝った。

 その年の12月、ナナイロプリズム福岡が立ち上がる。吉岡はチームディレクターとして招へいされた。九州電力の現役引退後は4年、社業と並行してチームのマネージャーを任された経験もあった。

 仕事内容を説明する。
「予算以外全部です。スケジュールをたてたり、リクルートなど全般をやります」
 月に1、2回、神奈川からチーム本拠地の福岡・久留米に飛ぶ。

 今回の北九州大会ではながとブルーエンジェルスに12-31で敗れた。決勝進出は2年ぶり2回目。前回も7-26と上回れなかった。
「優勝に近づけるよう、マネジメント面でチームがプラスになる要素を見直します」
 吉岡はできることをさらに突き詰めてゆく。

 その経営管理は天職でもある。今月末、関東学院ラグビー部の同期会を企画している。
「春口先生にも出席してもらいます。同期は30人超。ほぼほぼ来てくれます」
 その出席率の高さは吉岡が幹事であることと無縁ではない。

 吉岡は春口への謝意を口にする。
「大学の時に先生が使ってくれました。そして、今があります」
 ラグビーにいざない、応援してくれた父、サポートする妻への気持ちも同じだ。

 父は今年4月、泉下の人になった。77歳だった。父を忘れないために、そして、今をともに生きる妻のため、吉岡はナナイロプリズム福岡の強化に突き進んでゆく。

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