【コラム】フランキーさんとの出会い。オーストラリア留学、いいぞ。

今年の2月から約2か月間、私はオーストラリアでコーチング留学をしていた。
東部ゴールドコーストを拠点とするボンド大学ラグビークラブ、その女子チームにアシスタントコーチとして加入した。
この留学が実現した経緯やコーチとしての日々の記録は『Just RUGBY』にて連載させてもらっている。
“Feel in OZ”のタイトルは、前ラグビーマガジン編集長で現Just RUGBY編集長・田村一博さんが付けてくれた。
渡豪初日、ある人と落ち合う予定だった。
指定されたピックアップ場所で待っていると、一台の車が到着した。降りてきたのは、立派な髭を貯えた文字通りの巨漢だった。
「よく現地の人に間違えられるんです〜」
まったく見かけによらず、チャーミングな声には拍子抜けしてしまった。
阿部川祐(あべかわ ゆう)、通称 “フランキー”さんはゴールドコーストに来て27年目を迎える。
オーストラリアへの留学プログラム「ゴールドコーストラグビーツアーズ」を展開しながら、現地の取材コーディネートやカメラ撮影も担う。
サンウルブズがスーパーラグビーに参戦していた時代は、日本メディアとの間に立って取材のコーディネーターを務めた。特に五郎丸歩さんがレッズに所属していた時期は、試合後に毎回インタビュー、時には取材の通訳も買って出た。
留学サポートはラグビーのみならず、BMX(自転車競技)やスケートボード、大学の研修プログラムなど幅広い。
私の場合は、ホームステイや自転車の手配など生活面でのサポートをしてもらった。
愛知県の岡崎市で育ったフランキーさんは、小学校4年生からバスケットボール少年だった。
高校でも続けようとバスケ部の見学に行くと、全員が坊主にしなければならないオキテがある厳しい組織だった。少し気後れしたのを見かねた友人に誘われ、ラグビー部の見学に行った。監督が身体の大きさを褒めてくれたのが嬉しかった。
プロップ人材の確保は、新入部員の勧誘において最優先事項だ。
先輩たちは暖かく迎え入れてくれ、からかわれていた自分の身体が仲間のために役立っている実感があった。
どれだけぶつかっても怒られない。どんどんラグビーが好きになった。
当時、週末だけグラウンドに来て指導してくれる「謎のおじさん」がいた。
その人に教わると、魔法にかかったようにみんなが上手くなるという、生徒の間では不思議な存在だった。
2015年のワールドカップ。当時の友人伝いに、それは豊田自動織機の監督を務めていた田村誠さん、あの田村優の父だったと知る。
