コラム 2025.02.27

【ラグリパWest】九州のために。久木元孝行 [九州ラグビー協会/会長]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】九州のために。久木元孝行 [九州ラグビー協会/会長]
九州のラグビーをトップに立って取りまとめる久木元孝行さん(左)。九州ラグビー協会の会長である。右は日本ラグビー協会の最高事業遂行責任者(COO)をつとめる山神孝志さん。日本ラグビー協会が主催になった女子7人制大会、ナナイロカップを視察した

 久木元孝行(くきもと・たかゆき)は九州ラグビー協会の会長である。地位から来る威圧感はない。常に笑みがある。

 久木元はそのトップとして九州ラグビー協会の方向性を指し示す。
「国際化です」
 世界に開かれた協会として独自性を出す。

 その思いを強くしたのは2月8、9日に開催された女子7人制の大会、通称「ナナイロカップ」を視察したこともある。会場は福岡のミクニワールドスタジアム北九州だった。

 2022年に始まった大会は4回目を迎えた。海外参加は前回2024年からひとつ増え3チームになった。8県協会を束ねる九州ラグビー協会は大会を主管する。

 世界から選手が集まる大会が福岡にはほかにもある。宗像で開催される高校生のサニックス・ワールドユースだ。ワールドカップでは北九州がウェールズ代表のキャンプ地となった。6年前のことである。

「福岡はアジアの玄関口ですから」
 久木元はエネルギーからラグビーにつながった国際交流を思い出す。
「オーストラリアともLNG(液化天然ガス)で取引がありました」
 当時は九州電力にいた。40年以上前に商談が縁になり、遠征している。ラグビー部の現名は九州電力キューデンヴォルテクスだ。

 久木元が国際化に思いをはせるのは手弁当的に始まったナナイロカップの盛況もある。前回大会から主催は日本ラグビー協会になった。九州ラグビー協会の上部団体である。

 大会の運営は実質的に一般社団法人の「Nanairo lab」(ナナイロ ラボ)が担う。女子チーム「ナナイロ プリズム福岡」の運営母体でもある。

 久木元は以前、話している。
「九州は女子をクローズアップしていきたい」
 関東には秩父宮に代表される大学、関西には花園を聖地とする高校が中心にある。

 その女子のクローズアップの先に、今ある大会や久木元自身の経験を絡めて、国際化としての形を整えてゆきたい。

 久木元は71歳になった。ラグビーを始めたのは15歳。宮崎の延岡高に入学直後だった。学校は旧制の延岡中の流れをくむ。
「友だちの兄がやっていました」
 全国大会の出場はない。ただ当時、180センチあった大型WTBは人目を引く。

 紫紺ジャージーが興味を示す。
「新島さんにお声かけしてもらいました」
 新島清は戦前、1939年度(昭和14)の明大主将。NO8としてノンキャップの日本代表で、母校・福岡高の監督をつとめていた。

 東京・八幡山でのセレクションに行き、勉強もやった。一部の政治経済学部に合格する。入学時、上下関係で厳しさは感じなかった。
「森さんがそんなことが嫌いだった」
 2学年上が森重隆。福岡高出身のCTBで、日本代表キャップは27を重ねる。

 3年時、日本代表候補合宿に呼ばれる。
「へー、別世界って感じでした。田舎もん。競争じゃあなかった」
 年上のWTBに伊藤忠幸、坂田好弘、同期は「アニマル」と呼ばれた早大の藤原優がいた。代表キャップは順に19、16、22を得る。

 大学の4年間、ラグビーは自由にできた。
「先生は、前に行け、逃げるな、と」
 北島忠治の教えは単純明快だった。監督を67年の長きにわたってつとめた。「前へ」は今も明大の部訓になっている。

 4年時の1975年度は2冠を達成する。大学選手権は12回大会。決勝で早大を18-7で破る。日本選手権は13回大会。三菱自工京都を37-12と大差で降す。大学と社会人の優勝チームが日本一を争った日本選手権において明大の勝利はこの時のみである。

 久木元の同期は4人が日本代表になった。主将HOの笹田学、SH津山武雄、SO松尾雄治、CTB阿刀裕嗣(あとう・ゆうじ)。代表キャップは順に8、2、24、1である。

 津山とは再強化していた九州電力に入る。入社5年目の1980年度、9年ぶり10回目の全国社会人大会出場を果たす。33回大会は8強戦で近鉄(現・花園L)に15-21で敗れた。大会はリーグワンの前身である。

 その年、岩手の釜石で合宿をした。全国大会で連覇していた新日鉄釜石の胸を借りる。このチームは優勝を最終的に7まで伸ばす。在籍者には久木元の同期だった松尾や2つ上の森がいた。話は通しやすかった。

 新日鉄側には夏合宿に難色を示す人もいた。九州電力が強くなれば、同じ新日鉄チームで北九州にある八幡は不利になる。
「釜石の勤労部長だった三笠さんが、そんなことは関係ない、って言ってくれました」
 三笠洋一。東大野球部の出身でラグビー部の部長もつとめた。

 九州電力が強くなれば、対戦相手の新日鉄八幡も鍛えざるを得ない。切磋琢磨こそが大切なのであって、そのライバルの願いを断ることではない。久木元はラグビー精神に触れた思いがした。

「現役引退は30くらいでした。その後、チームでは主務なんかをしました」
 仕事の経験は豊富。人事、総務、営業、広報などを回った。そして、電気設備工事を軸にする九電工に移る。現在は九電工とオリックスが出資した「キューコーリース」の社長。車両リースなどを主業にする。

 九州ラグビー協会では2020年、会長だった森が日本ラグビー協会の会長に転出する。理事長だった久木元は後任を問うた。
「おまえたい」
 森は福岡の森硝子店の会長でもある。

 久木元の長男、孝成(こうせい)は大分舞鶴高から早大に進み、同じ九州電力に入った。今はナナイロ プリズム福岡のアシスタントコーチをつとめている。

 15で手にした楕円球の人生は末に広がる。その幸せを感じながら、国際化というテーマに向かって久木元は進んでゆく。

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