オレンジのバイプレイヤー。海士広大[クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/PR]
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愛称はカメックス。2季前に引退した井上大介に名付けられた。
随分体格のいい亀のポケモンに似ていたからだ。
「肩幅がデカくて、顔が小さいからカメックスやと。井上さんの娘ちゃんには略されて亀って言われています(笑)」
ルースヘッドPRの海士広大(かいし・こうた)は、クボタスピアーズ船橋・東京ベイのバイプレイヤーだ。
2017年に入団し、8シーズン目を過ごす30歳。看板のFWで相手を圧倒するという意味を込めた「DFP(ドミネートフォワードパック)」を縁の下で支える。
「ラグビーは極端に言えば人数を減らすゲームです。ブレイクダウンで一人減らせればいい球を出せる。BKのトライに繋がります。セカンドタックラーを剥がして、相手を地面に寝かし、自分が上に乗っている状態を目指しました」
いまのプレースタイルを磨いたのは、スピアーズに入ってからだ。
常翔学園では花園優勝に貢献し、同志社大でも1年時から大学選手権を経験。スピアーズでも1年目から出場機会を得たが、トップリーグ(当時)ではボールキャリーなど従来の強みが通用しなくなった。
サントリーやパナソニックといった強豪と体をぶつけ、「感じたことのないプレッシャーを感じました」。
「ブレイクダウンでのしつこいプレーがすごい大事だなと。自分に何ができるかを考えた結果、相手が嫌がるサポートプレーで生きようと思いました」
「地味なプレーですけど…」と目を細めるが、そこに矜持はある。
泥臭いプレースタイルのメンバーが集まって親睦を深める「どぜう会」にも名を連ねる。
前川泰慶GMや田村玲一さん(現・コンシューマー)を中心に、10年前に発足した会だ。現在は初期メンバーの青木祐樹に加え、紙森陽太と玉置将也が会員となっている。
「最近(活動が)止まっているので、またやりたいですね」
その働きが認められたのは2022年。初めて代表活動に呼ばれ、ウルグアイ代表戦で初キャップを得た。
翌年のシーズンオフにプロに転向するきっかけとなった。
「代表合宿に呼んでもらい、もう一度そこに入れてもらうには自分もラグビーに専念しないとついていけないと思いました」
決断には1年近く時を要した。
職場での信頼も勝ち取っていたのだ。部内では少数の「環境プラント品質保証部」に配属。下水処理場に向かい、メンテナンスやクレーム対応をおこなっていた。
「糞尿などが混じった汚泥を処理する現場に行っていました。髪の毛に匂いがつくと、3日ぐらい自分から香ってくるんです」
異なる意味だがここでも「泥臭い」任務をこなし、同僚から慕われる存在だった。「いまでもすごく応援してくれています」。
決断には妻が背中を押してくれた。「好きなことは最後までやった方がいい」と言われ、「29の年で少し遅いのですが、チャレンジしようと思いました」。
プロ1年目の昨季はしかし、不調に陥った。プレシーズンの練習試合で首を負傷。重めのバーナー症候群を患った。
「初めてラグビーが怖いと思いました。それからヘッドキャップをするようになりましたし、それを引きずってメンタル面で苦戦していました」
今季はその恐怖を払拭した。NZ代表コーチを務め、今季からアシスタントコーチとして入閣したスコット・マクラウド氏が貢献する。ディフェンス担当の同コーチに悩みを打ち明けると一喝された。
「それはスキルが足りないからだ」
マクラウドコーチは海士に限らず、練習後の個人練を最後まで付き合う。そこで的確なフィードバックをもらえた。
「飛び込みがちだけど、しっかり肩から入れれば首は大丈夫。練習で修正できることだと言ってもらえました。いまはしっかり相手をドミネートできるようなタックルができるようになってきました」
初めて日本一を成した2季前は、プレーオフ準決勝で負った脳震盪でファイナルの舞台に立てなかった。その悔しさこそあったけれど、優勝した瞬間は「嬉しさが勝ちました」。
本人曰く「グラウンドにいる選手たちよりも早く」涙が頬をつたった。
「チームはずっと下位にいました。入団した時はまさか自分たちが優勝できるなんて思っていなかったです。みんながすごくハードワークしてきたのを知っていますし、その努力が結果に結びついたのがすごく嬉しかった」
今度は自分もあの舞台で優勝に貢献したい。もう一度、日本代表に戻りたい。
叶えたいことはいくつもある。