ギョウザ耳列伝 vol.13 橋本大輝
橋本大輝
(福岡・九州国際大付高―京産大―神戸製鋼)
いよいよトップリーグのプレーオフトーナメントが始まる。1月某日。勝ち残ったトップ4の監督(ヘッドコーチ)、キャプテンが勢ぞろいし、会見があった。
ギョウザ耳を探す。遠目にも、キレイな耳が見えた。神戸製鋼の橋本大輝キャプテンのそれだった。
会見で質問を4人のキャプテンに投げ、会見後の囲み取材では、橋本主将にスルスルとすり寄った。まずは準決勝のヤマハ戦の話を聞いた。第2ステージの対戦では、神鋼が40-10で大勝している。誠実な同主将は言った。
「たぶん、今度は前回のようなゲームはできないと思っています。ヤマハさんは、セットプレーにすごく自信を持っていると思うので、そこで後手を踏むことになれば、前回の逆のゲーム展開になりかねません。まず、そこをしっかりと勝負していきたい」
もちろん、チームの成長に自信はある。が、相手へのリスペクトは失わない。警戒する。こう、コトバを足した。
「コンディションや仕上がりの状態で差が出てくると思います。スクラムは前回経験しているので、対策は練っています。ラインアウト、モールも、そこで相手を勢いづけさえしなければ…」
その後も、準決勝に向けた話を聞いた。タイミングをみて、さりげなく耳の話題に持ち込んだ。「いい耳、してますね」と。
橋本主将が一瞬、身構えた。いかつい顔がゆるむ。ラグマガWEBの『ギョウザ耳列伝』連載の説明をすれば、はははと笑ってくれた。「どうぞ」。いいオトコなのだ。
両耳がつぶれているけれど、「どちらが先だったのでしょうか?」と聞けば、「こちらです」と左耳を突きだした。
福岡県北九州市出身。7歳のとき、地元のラグビースクールでラグビーを始めた。九州国際大学付属高校に進学し、ラグビー部に入った。1年の時、タックル練習でまず、左耳が膨れてきた。
「高校の先生から、“タックルは首でいけ”“顔でいけ”と言われたのです」
タックル練習は「ナマタックル」だった。つまり実戦さながら、人にあたっていく。
「ぼくらの高校はすごい弱小高校だったんです。からだもちっちゃかったので、ここ(首、顔、腕)でしっかりパックすることで、どんだけ大きい相手でも、絶対倒れると言われました。どんな相手でも、足首だけはまっすぐならないからって。それで、すぐ、(耳が)湧いて…」
痛くても、練習を休むような時代ではなかった。耳への衝撃をやわらげる防御壁、耳パットみたいな「ワッカ」を耳につけて、タックル練習を繰り返した。
すると、今度は右耳が湧いてきた。
「とにかく、さわるだけで痛いので…。毎回、タックルにいく度、痛かったのを、今でも覚えています」
3か月ほどしたころか。ギョウザ耳が固まった頃、タックルの型も固まっていた。「自信」も備わった。
「タックルの際、顔をそらすと相手にやられてしまう。最後まで相手を見て、踏み込んで入ることが大事なんです。もう習慣になって、相手が来たら、勝手にからだが反応するようになりました」
猛練習で鳴る京産大でも、何度か耳がつぶれた。神戸製鋼でもしかり、である。「去年も湧いていました」と打ち明ける。
「もう、何回も何回も、(耳が)湧いているんです。耳の内側とか、外側とか、いろんなところが。なりやすい体質なんだと思います」
いかにも九州男児っぽい風貌である。目に力がある。ヒタイの左側には縫った傷の跡があり、右目の周りにも縫い跡が残っている。
「こっち(左のヒタイ)は10針ほど、そっち(右目の周り)は20針ほどじゃないでしょうか」
ギョウザ耳とこの顔つき。一見、コワいですね、と言えば、はははと笑った。
「よく言われます。銭湯なんかで、“いい顔しているね”と声を掛けられます」
キャプテンとして、より一層、試合でからだを張る。今季、ギャリー・ゴールドヘッドコーチ(HC)から、「attitude(姿勢、態度)」とのコトバをよく言われた。
「ここにきて、ラグビーに対する姿勢を見直すとは思ってなかった。(ゴールドHCは)ほんと、パッション(情熱)にあふれていて、僕らには決して、ウソをつかない。何でもストレートに言ってくれるので、信頼関係は築きやすかったですね」
attitudeの意味を聞けば、橋本主将は短く、言った。
「一生懸命にやれ、ということです」
トップリーグ1位通過も「タイトルをもらえたわけじゃない」とそっけない。
「あと2試合勝って、初めて(1位の喜びを)体感するものかと思います。とにかくパッション、一生懸命にプレーするだけです」
コトバに覇気が満ちる。27歳。ああギョウザ耳のキャプテンの猛タックルが見たくなるではないか。
2015年1月23日掲載
※ 『ギョウザ耳列伝』は隔週金曜日更新
【筆者プロフィール】
松瀬 学(まつせ まなぶ)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。福岡県立修猷館高校、早稲田大学のラグビー部で活躍。早大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク支局に勤務。2002年に同社退社後、ノンフィクションライターに転身。人物モノ、五輪モノを得意とする。『汚れた金メダル 中国ドーピング疑惑を追う』(文藝春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。著書に『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯 』(新潮社)、『ラグビーガールズ 楕円球に恋して』(小学館)、『負げねっすよ、釜石 鉄と魚とラグビーの街の復興ドキュメント』(光文社)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。