日本代表 2026.04.23

【サクラセブンズ PICK UP PLAYERS】誰よりも強い思い。須田倫代[PEARLS]

[ 編集部 ]
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【サクラセブンズ PICK UP PLAYERS】誰よりも強い思い。須田倫代[PEARLS]
中学時は大阪RSレディースや浪花闘球娘、男子と茨木合同でも活動©JRFU

 サクラセブンズの須田倫代が、世界の舞台に帰ってきた。

 悲劇が起きたのは2024年3月。アメリカとの強化試合中に、左膝に大ケガを負った。前十字靭帯断裂に加え、内外両方の半月板も損傷。手術ではパリ五輪に間に合わないから、保存療法で早期復帰を目指した。

「順調に戻ることができて、パリの最終セレクションでどこまでアピールできるか、までは持っていけたんです。でも、合宿の終盤で膝崩れを起こしてしまいました」

 その無念は想像に難くない。パリ五輪の試合日と同日に手術をし、涙しながら映像を見た。
 長期のリハビリが決まっていたから、代表活動で満喫できなかった大学のキャンパスライフを楽しむと決めた。

「でも、ワールドシリーズでみんなが順位を上げているのを見ると、ここでまた戦いたいなとは思っていました」

 代表復帰は昨年9月のアジアシリーズ。熾烈なSO争いの渦中にいながら、そこから全大会に出場中だ。

「それぞれ強みが違うのですごく学びになります。でも、自分の強みでは絶対に負けたくないですね」

 ラグビー一家に生まれた。立命大OBで元PRの父・匠さん、関西学大OBの長男・晋矢さん、近大3年の次男・厳太の影響で、8歳から大阪ラグビースクールに通った。
 上3人がSOなのは偶然という。天理高2年の三男・貫路はSH、11歳の次女だけラグビーをしていない。

「学校に行く前だったり夏休みにはみんなでよく公園で練習してました。コロナ禍の時も!キックとかパスとか1対1で抜き合いしたり。妹はラグビーしないと言っていますが、パスもキックも上手です」

 小学校の卒業式では、壇上で目標を語る際に「オリンピックで金メダルを獲る」と宣言。「ただ実際にどうやって代表になるかは中学でもよく分かっていなかった」と笑う。

 その道を理解したのは高校からだ。女子ラグビー部が創部されるタイミングで京都成章に入学。同じサクラセブンズの岡元涼葉をはじめ、「やる気があって、上手な子たちばかりでした」。

 強みのステップ、キックも、仲間との日々の鍛錬で磨かれた。
「ステップは練習後にみんなで1対1をやって、楽しみながら感覚を掴めました。キックも自分が納得するまで付き合ってくれて。夜遅くまでグラウンドが使えたので、10時頃までやっていたこともあります」

 しかし、その努力はセレクターの目には止まらなかった。セブンズユースアカデミーには3年間で一度も呼ばれなかったのだ。

「1年の時は全国に出られなかったから仕方ないと言い訳を作っていたけど、成章の同期が選ばれ始めてからは、自分には全然足りていなかったんだなと。悔しかったですね」

 大学は競技生活を終えた後に祖父母と同じ教員となるため、国語の教員免許が取得できる追手門学院大の国際日本学科に進学。そこで契約ジムに通い、下肢を強化。スクワットの重量は代表内でもトップレベルにまで達した。

 ほどなくして1年時の11月にデビューを飾り、以降は順調にアピールを続けていた。
 そんなストーリーを歩んできたからこそ、「ロス五輪に出たい、そこで結果を出したい気持ちは誰にも負けないと思っています」。

 いまは、まだ万全とはいえない心身のコンディションを上げることに注力する。
「タックルは良くなってきているので、あとは得意のステップを…。まだ怖さがないことはないので、筋力と自信をつけたいです」

(文/明石尚之)

※ラグビーマガジン5月号(3月25日発売)の「セブンズ女子日本代表特集」を再編集し掲載。掲載情報は3月15日時点。

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