【ラグリパWest】全国デビュー㊦ [金沢学院大学ラグビー部]
金沢学院はこの年末年始にあった全国地区対抗大学ラグビーに初出場した。通称「地区対抗」は76回目を迎えた。
準決勝で山梨学院に10-48で敗れるも、東海・北陸代表として全国デビューを飾った。敗戦は新年1月2日だった。
大会の会場は名古屋市のパロマ瑞穂ラグビー場だった。金沢学院があるのは金沢市。所属する東海学生リーグでは唯一、石川県のチームである。試合当日の雪道の往復は33人の選抜メンバーだけとはいえきつい。その時、ラグビー仲間が手を差し伸べてくれる。
名古屋経済大が犬山キャンパスにある宿泊施設を無償で提供してくれた。昨秋、リーグ戦で対戦する。このキャンパスからラグビー場までは車を使えば40分ほどで着く。
「ありがたいことに個人負担は食費と布団のレンタルの25000円ですみました」
監督の野村倫成(みちなり)は感謝する。
名古屋経済大の生活アドバイザーである左高慎治郎は自らみそ汁を作って、部員たちにふるまった。名古屋経済大は入替戦で中部大に敗れ、来季は二部のBスタートが決まっている。それでもサポートを惜しまない。
保護者も協力する。47-7と東北大に勝利した初戦の12月29日には豚汁を差し入れた。東海地方らしく赤みそ仕立て。大会中は自炊だった。手作り感満載である。
「SNSで大会出場の告知をしたことで米が150キロも届きました。肉や野菜の差し入れもありました。年越しは沖縄そば。遠征メンバーに名護高出身の子が5人いますが、その保護者が出汁つきで送ってくれました」
他者からの申し出や協力は野村の人間性と無縁ではない。コーチ陣は年下だが、「さん」づけで呼ぶ。グラウンドには一礼して入る。電話で名乗る時は「ございます」。話を聞く時は手を前で組み、背筋を伸ばす。
野村は学内の実力者である太茂野直利(おもの・なおとし)から評価されている。太茂野は71歳。大学、短大、高校、中学で構成される学校法人<金沢学院大学>の副理事長だ。大学は7学部と大学院を擁する。
その一大教育機関で学ぶものは5000人ほどいる。大学生は3000人ほど。日本海側にある私大では最大規模。大学の設立は1987年(昭和62)で創立40周年を来年、迎える。
太茂野はラグビーのルーツ校である慶應を出ており、この競技を「愚直なほど黙々と前に出る」と話している。<金沢学院大学クラブスポーツガイド2026>は84ページ建ての総カラーだが、ラグビー部は硬式野球、サッカーに次ぎ3番目に出てくる。
ラグビーの学内における期待度は高い。太茂野がこの学校法人に移って来たのは14年前。関係の深い県紙の北國新聞からだった。
「私が来た時、ラグビー部は荒れ地のような場所で練習をやっていました」
その翌2013年、野村が加わる。グラウンドは今、照明完備の人工芝になった。大学の力の入れ具合と野村の努力が伝わる。
野村は45歳。ラグビーを始めたのは高校入学後だった。県立校の鶴来(つるぎ)。金沢から見れば南の方角にある。
「花園に出られると思いました」
開催グラウンドから「花園」と言われる全国大会に鶴来は6回の出場歴がある。
野村が1年時の76回大会(1996年度)は1回戦で延岡東(現・延岡星雲)に10-34で敗れた。PRの野村はメンバー外。これが選手として唯一の花園になる。
大学は千葉の国際武道に進む。
「競技歴がなくても、スポーツ推薦で行ける学校を探しました」
国際武道では4年間、関東リーグ戦の二部で戦った。そのまま大学院に上がる。
体育学の修士号を得て、2005年、故郷に戻る。日本航空第二の保健・体育教員になった。ラグビー部のコーチ、寮監も兼務した。金沢学院のコーチ陣、谷口佳隆とシアオシ・ナイは野村と一緒に高校に入学した。
日本航空石川に2009年から校名は変わる。この高校で野村は花園を8度経験した。最高位は87回大会(2007年度)の3回戦進出。桐蔭学園に5-31と敗北した。谷口とナイは3年生。FBとNO8で先発している。
野村は2013年4月から金沢学院に籍を変えた。理由は母の体調不良や大学側からの勧誘があった。この年を創部年に定め、強化にいそしむ。13年目に地区対抗という全国大会にチームを初めて出場させた。
野村はこの大会に臨むにあたり、4か条からなる部訓を作った。
<レフリングに文句を言わない>
<レフリーを批判しない>
<相手を尊重する>
<仲間を激励し、傷つける発言をしない>
チームは洗練されつつある。
その先を野村は具体的に考える。
「いずれ専用寮を作りたいと思っています」
寮ができれば結束力も強まる。部員たちは今、部が借りたアパートに住まい、「KGダイニング」と呼ばれる学生食堂で3食を1600円ほどで摂っている。
野村は初めての地区対抗を総括する。
「チームの終わりが10月の4週目だったのが1月2日まで伸びた。経験は大きいです」
最初のチーム作りがこの時期にできた。そして、野村にとって元日をラグビーの現場で過ごしたのは18年ぶり。谷口とナイと一緒に出た花園以来である。それも喜ばしい。
金沢に帰るのは1日伸ばし、3日にした。
「宿舎を提供してもらった。恩を返さないといけない。来た時よりもキレイにしよう」
野村は部員たちに語りかけた。
この地区対抗の準決勝があった2年と1日前、能登半島地震が発生した。震度は7。700人近くが関連を含めて亡くなり、18000以上の人が今も仮設住宅に身を寄せている。
その同じ石川県に金沢学院はある。ラグビーを興じる者たちは競技に没頭できることに感謝しながら、震災に遭遇した人々に生きる力を届ける崇高な使命が、またある。
ここまで来た。到達点を知った。この歩みを途切れさすことなく続けてゆきたい。
(全国デビュー上下、完/㊤はこちら)




