国内 2025.12.07

負けん気の発露。田代大介[明大3年/PR]

[ 三谷 悠 ]
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負けん気の発露。田代大介[明大3年/PR]
帝京大戦でPOMに選ばれた田代。出身の宮若市は、空港のある福岡市と北九州市のちょうど真ん中あたり。実家までの所要時間が変わらないため、帰省の際はチケットがより安く手に入るほうを選ぶ(撮影:桜井ひとし)

 試合後のミックスゾーン。秩父宮ラグビー場の薄暗い廊下に現れた、明治の左プロップ田代大介は比喩ではなく、本当に鼻息が荒かった。まさに興奮冷めやらぬといった様子で、語気を強めて言った。

「後半は全部、とりました」

 11月16日におこなわれた帝京戦。その一戦でのスクラムの話だ。
 最初の40分を0-10で折り返し、ロッカールームへと引き上げる。紫紺の背番号1はとなりで肩を組むフッカーの西野帆平に訴えた。

「もっと攻めさせてくれ。おれが必ずとるから」

 そもそも田代にはヒット、最初のぶつかり合いで互角以上に渡り合えている手応えがあった。
 しかし前半の明治はさほど仕掛けず、安定させる形をめざしたが、真紅の王者はこのセットピースに絶対の自信を持つ。うまく手繰られて3つの反則を許した。

「前半もすこしはいい形で組めたんですけど、こちらのペナルティになることが多く、後手に回ってしまいました。だから後半は、おれがやり返す、と」

 負けん気の強い男の覚悟は、フォワードを指導する滝澤佳之アシスタントコーチまで動かした。前線の8人とスクラムハーフの柴田竜成を呼び、伝えた。

「マインドを変えるぞ。どのエリアでも、マイボールでも、相手ボールでも押していけ」

 ボスの「攻撃的に」の指示は後半、見事にはまった。
 対面は昨年のジャパンにも招集された、世代でも随一の右プロップ森山飛翔。6月の春季大会で初めてぶつかり、これまでにないヒットの強さと速さを感じた。右の僧帽筋に受けた衝撃はいまでも体が覚えている。

 しかし「押し切る」に統一された意思は8人の塊を強固なものへと変え、要所で組み勝った。田代がベンチへ下がるまでに奪ったコラプシングは3本。逆に明治は一度も笛を吹かれなかった。
 試合は21-17でノーサイド。対抗戦で帝京を破ったのは、実に5年ぶりだった。

 このゲームで田代はプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選出されている。前述のスクラムや、反撃の狼煙となるチーム最初のトライを奪ったことに加え、フォワード第1列らしからぬワークレートの高さも評価の対象となったはずだ。
 タックルに次ぐタックル。いまでも得意なプレーではないというが、自称「4人目のバックロー」は110キロに迫る体重ながら豊富な運動量を誇り、ここにも負けず嫌いな性格が透けて見える。

「どのチームもそうだと思うんですけど、ディフェンスのときにフロントローはできるだけ(ディフェンスラインの)内側に立つじゃないですか。(外側で相手の足の速い)バックスとミスマッチにならないように。僕、それがすごく嫌いで。どこに立っていても、走れて、タックルができて、止められる選手でいたいし、そういうチームになっていきたい」

 その意識の高さは普段の練習にも表れる。走行距離、スプリントの回数、トップスピードの数値といった、GPSの数値を常に気にかける。もし理想に届いていなければ、全体練習後にエアロバイクを漕ぎ、ウエイトトレーニング場へと足を運ぶ。

 勝ち気でストイックなプロップは2004年、福岡県宮若市で生まれた。
 バレーボール経験者の両親の血を引き継ぎ、幼少期から運動神経は抜群。3歳で柔道を始め、母方の兄にあたる叔父がつくった地元の道場で2つ上の兄とともに腕を磨いた。得意技は大外刈りと内股。低学年の頃には西日本大会で準優勝を果たしたという。

 初めて楕円球に触れたのは、柔道から遅れること6年。小学3年で、ラグビーフットボールクラブ筑豊ジュニアに入った。畳の上で鍛えられた、大きな体を生かしたプレーで周囲を圧倒。二足の草鞋を履きながら、本人の言葉を借りれば「無双状態」だった。

 兄の諒介さんは中学に進むにあたってラグビーに専念。小学5年でひとり残される格好になった弟は、逆の道を行く。柔の道を極めるために週2回、車で片道1時間半かけて福岡の名門「大刀洗豪武館」に通い、力を蓄えた。

 小学校を卒業すると、北九州にある大蔵中学校へ。「中学のときは柔道しかしていなくて、自分はずっと柔道をする人生だと思っていました」と言うほどのめり込んで実績を残し、県内最強と謳われる大牟田高校に誘われた。本人いわく「中3の8月か9月ごろ」。監督とは握手までかわした。

 ところが10月、兄が所属する大分舞鶴のラグビー部から声をかけられる。私立と公立ではスポーツ推薦の開始時期が異なるためだ。家族を通じて「本気のオファー」と耳にし、「それもありかな」と直感した。

「ラグビーのほうが、自分はもっと上に行けるんじゃないか、と。中学生なりに将来性を感じました」

 そして転向を決意。すぐさま2シーズン前に兄が主将を務めていた、中鶴少年ラグビークラブに通った。練習グラウンドは北九州と博多駅をつなぐ、JR九州の福北ゆたか線の中間(なかま)駅から徒歩10分の距離にあった。
 北九州市の中学で柔道に明け暮れていた時期の週末、練習帰りにその中間駅で途中下車し、父母と合流して兄が楕円球を追う姿を頻繁に見学していた。それもあって監督やコーチ、選手たちとは顔なじみ。小学校卒業以来、およそ2年半ぶりのラグビーだったが早々にチームに溶け込み、「これだ」と感じた。

「ずっと個人競技だったので、フィールドに仲間が何人もいるのがすごく不思議な、言葉にできない感覚があって、楽しいなと思いました」

 こうして伝統校の大分舞鶴で、ふたたびラグビー人生が始まった。しかし思いどおりには進まない。入学の前年、留学生を擁する大分東明に敗れ、花園の連続出場が33で途切れていた。
 ライバルには、カイサ・ダウナカマカマ、日隈太陽(ともに現・帝京大)、ナブラギ・エロニ(現・京産大)ら強力なタレントがそろい、大きな壁となって立ちはだかった。
 
 唯一、花園の切符をつかめたのは2年生のとき。徹底的にモールを鍛えあげ、OBたちが仮想留学生となり、練習で力を貸してくれた。東名との決勝は7-7の同点に終わるも、抽選の末に出場権を得た。

 共同主将のひとりとなった最終学年は、リーダーならではの苦しみを味わった。もとより思ったことは口に出さずにはいられない性分。許せない出来事が起こると、チームメイトに容赦なく厳しい言葉をぶつけた。

「僕を嫌いな選手は絶対にいたと思います。言い方も悪くて、キャプテンとしてダメだったと、いまでも思うくらいで」

 気性の荒さはラグビーにおいて絶対的な強みだ。冒頭の帝京戦のひと幕は、それがポジティブに作用した好例だろう。ただし、ひとつ間違えば、裏返しで弱さにも変わる。
 2年生の昨季、春はAチームで出場する機会を得るも課題のスクラムが改善されず、シーズン本番は席を失った。しかしプレー以上に自分を客観視できず、ベクトルを他者に向けてしまう悪癖が最大の原因だったと述懐する。

「スクラムが悪かったときに、どんな行動をとるのか。そこを滝澤さんには見られていたと思います。僕は下のチームに落とされるのが嫌で、自分ではなく、周りの選手に責任があるような言い方をしてしまっていました」

 自身の非を認められない言動は当然、スタッフにも見抜かれていた。滝澤コーチだけでなく、神鳥裕之監督にも、「このままでは先はない。強くならない」と、幾度となく諭された。

「直さなきゃいけないとわかってはいるんですけど、グラウンドに出て頭が熱くなると、そういう立ち回りをしてしまう自分がいて。そこは苦労しました」

 練習でよい結果を出しても序列が変わらず、不満や疑問をコーチに直接ぶつけたこともある。
 シーズンの最終盤には、溜まりに溜まったフラストレーションがついに爆発。練習中、ちょっとしたいざこざをきっかけに先輩と揉め、殴り合いの喧嘩にまで発展した。

 主力のひとりとなった現在、にわかには信じがたい態度だが、「冷や飯を食わされる経験をしたからこそ、絶対にいまがある」と本人は語る。
 さらには多くの出会いが内面によい影響を与えた。特に春先、とあるリーグワンのチームのリクルーターがくれた言葉は深く刺さった。

「メンバーに入れなかったり、落とされたりするときもあると思うけど、どのカテゴリーのゲームでも一貫したパフォーマンスを見せないといけない。そういう態度も大事だよ、と」

 今年の春季大会はリザーブから始まったが、心は乱れず。夏合宿の練習試合も一度だけベンチスタートだったが、平常心でいられた。

「グラウンドに出たら、いままでやってきたことを出すだけ。そういうマインドで臨めました。まだまだですけど、去年に比べたら変われたと思います」

 目前に迫った早明戦。両チームともに勝てば優勝が決まる、対抗戦のファイナルだ。
 スクラムは勝負の行方を左右する、大きな要素のひとつ。そのライバルのセットピースを、田代は「強い」と素直に認める。

「正面でヒットする強さがあります。それに、ちょっと大学生らしくないうまさというか、レフリーへの見せ方もすごく研究されていると思います」

 対面の前田麟太朗は1学年下の2年生。桐蔭学園時代に花園優勝を経験し、高校日本代表にも選出された経歴を持つ。「堂々としていて、本当にすごいプレーヤー」と語る一方で、昨シーズンに味わった屈辱を晴らすつもりでいる。
 2024年10月の関東ジュニア選手権。Bチーム同士の公式戦で1本だけ組み合い、落とされて反則の笛を吹かれた。

「ちょっと言い方は悪いですけど、完全に制圧する気持ちで、ぐうの音も出ないくらいにやってやろうかなと思っています」

 多少の丸みを帯びたとはいえ、心根はそう簡単に変わらない。大舞台でも向こう意気の強さをそのままぶつける。

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