コラム 2025.11.26

【ラグリパWest】ここまで来た㊦。福岡県立浮羽究真館高校ラグビー部

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】ここまで来た㊦。福岡県立浮羽究真館高校ラグビー部
11月15日、第105回全国高校ラグビー大会の福岡県予選決勝で東福岡と戦う直前、円陣を組む浮羽究真館の先発15人。チームとしては創部60周年で初の県大会決勝進出となった。決戦の舞台は福岡市のベスト電器スタジアム。バックには吉瀬晋太郎監督の好きな「感動 笑 夢」の横断幕が見える(撮影:浮羽究真館高校ラグビー部プロモーション事業部)

 自然豊かで肥沃なうきは市に浮羽究真館はある。福岡県の南東部になる。

 その高校のラグビー部を監督の吉瀬晋太郎は県大会で初の決勝に押し上げた。就任11年目である。

 11月15日、105回全国大会の県予選決勝の対戦相手は東福岡。本大会の優勝7回は歴代3位の記録だ。

 この予選は年3回ある県大会の最後になる。1月の<新人戦>は4位だった。東福岡に敗戦後、3位決定戦で21-38と修猷館に逆転負けした。5月のいわゆる<春季大会>では8強戦で福岡工に26-27で敗れている。

 4位が春には8強戦で敗退となる。吉瀬は福岡工戦を振り返る。
「あの負けがあったから、今があります」
 夏は初めて2回の合宿を張った。従来の大分・久住の後、鹿児島・宮之城にゆく。宮之城では長崎北陽台の胸を借りた。この時、全国大会の出場は22回。準優勝が1回ある。

 秋10月には臨時コーチとして土井崇司を招へいした。土井は66歳。東海大仰星に創部して、冬の全国大会で優勝6回とする礎を築いた。二泊三日の間、特にディフェンスを中心に指導をする。タックルバッグに肩を当てる基礎から練習は始まった。

 吉瀬は感謝を口にする。
「先生のおかげでしっかりしてきました」
 浮羽究真館は8強戦で東筑を33-28、4強戦で福岡を58-12と降し、初めての決勝に勝ち上がった。土井は今年3月、東海大相模の校長を退任している。

 吉瀬は探求心旺盛だ。2017年には横井章を招いた。80代の横井は伝説のCTBで、日本代表キャップ17を持つ。他競技からも学んだ。2016年、夏の甲子園で優勝した作新学院に行った。監督の小針崇宏には県内出身の部員だけによるチーム作りを聞いた。

 同時に吉瀬は教育者としての側面もある。ラグビー部卒業生に吉田錦太朗がいる。高校入学まで7年間、不登校だった。最初、吉田は吉瀬が部内に作ったプロモーション事業部に入った。SNSなどを担当する。

 そこからPRとして競技者になった。
「ラグビーならどんな子にもポジションがあります。人と違うことは価値がある。自信を持って押し出して行ったらいいのです」
 吉瀬自身も小学校の頃、不登校だった時期があった。吉田は今年4月、長崎外国語大に入学。語学の習得という初志を貫徹する。

 そのラグビー部員たちを吉瀬は特別扱いしない。進級に影響があるなら、部活を停止させ、勉強に専念させる。高校生ということを最初に持ってくる。

 浮羽究真館は全日制普通科。各学年4クラスの定員160人だ。今は定員割れを起こしている。ラグビーはそれを防ぐ役割もある。部員は60人。選手は50人、プロモーション事業部を含めたマネージャーは10人。通学圏は大分、熊本、佐賀に広がっている。

 決勝戦は全校応援だった。バス5台で会場のベスト電器スタジアムに駆けつける。
「他校に比べたら少ないですが…」
 校長の加藤茂文は話す。赴任は今年4月。加藤は今月30日で58歳になる。明善から筑波大に進んだ。現役時代はFL。ラグビー出身の校長はまた吉瀬の支えになる。

 うきは市からは応援バス2台が出た。石橋大輝が動いた。石橋は吉瀬の教え子だ。市職員として<ラグビータウンプロジェクト推進係>に勤務。その業務として希望者をつのった。高2だった2015年、吉瀬が赴任した。

 その声援を受ける浮羽究真館と東福岡には戦力差があった。浮羽究真館は国スポの福岡県選抜、いわゆる<オール福岡>の最終メンバー23人に入らなかった。東福岡の高校日本代表候補は7人を数えた。

 キックオフは午前11時。校長の加藤は選手の肩をたたいて送り出した。前半3分、ラックサイドを割られ、先制トライを許す。同10分、主将SOの山岡洋祐のPGで3-14とするも、猛攻を止められない。前半の失トライは6。スコアは3-42で終わった。

 その戦いを佐々木隆太郎はベンチから見た。
「選手たちはむちゃくちゃ緊張していました。普段しないパスミスがいっぱい出ました」
 佐々木は56歳。浮羽究真館のよさを中学生に伝え、受験に結びつけるスタッフだ。

 緊張する要素は山盛りだった。決勝、全校応援、テレビ放映、スタジアム…。すべてが選手たちにとって初めてだった。そして相手は<モンスター>の東福岡である。

 前半奪われた6トライのうち、マイボールのスクラムが起点のものは2つあった。
「スクラムは初めての強さでした」
 HO副将の生田大和はボールをかくフッキングがおぼつかない状況に遭遇した。

 最終的には3-80と差が開いた。
「やられました。でも生徒たちは本気で勝ちに行ってくれました。誇らしい。支援してくれた人たちにも感謝したいです」
 吉瀬はPGを得た選手たちをねぎらった。

 そして、この先を見据える。
「普通のやり方では、東福岡に追いつけません。やり方を考えます」
 追いつくひとつはグラウンドだろう。決勝出場の4校中、土は浮羽究真館だけ。東福岡と修猷館は人工芝、筑紫は天然芝を持つ。

 その吉瀬を支える3つの単語がある。
<感動 笑 夢>
それが横断幕として掲出された。色はジャージーと同じ鉄紺である。
「致知出版社の本で見つけました」
 この3単語は人を豊かにし、前向きな力を与えるとされている。感動を作りながら、笑って生き、日本一という夢を描く。

 吉瀬はコロナ前、全国8強のチームから、監督としてスカウトされたことがある。
「この母校で日本一を目指したい」
 その申し出を断った。受けていたら、あるいは全国優勝していたかもしれない。ただ、夢の実現はあくまで浮羽究真館で。ここまで来た。先は見えた。部員、学校、そして地域のために、さらに前進を続けてゆく。

(ここまで来た、完/㊤はこちら

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