可能性を示し続ける。小澤一誠&大内田陽冬[筑波大医学群医学類/PR・CTB]
明大、慶大、そして帝京大を破り、今季の大学ラグビーを席巻している筑波大。
ここまで全試合に出場し、その勝利に貢献しているのが、左PR小澤一誠とCTB大内田陽冬(あきと)だ。
ともに4年生で医学群医学類に所属。2020年度に卒部した中田都来以来となる医学部生である。
文武両道を極める二人の道のりを追った。
――まずは帝京戦を振り返ってください。
大内田 嬉しかったですね。明治には練習試合で勝ったことがありましたが、帝京には一度も勝ったことがなかったので、開幕戦とはまた違った喜びでした。個人的には2年ぶりの先発で、久しぶりに12番を着ました。強い相手だと分かっていたので、自分の強みを出すだけだと思っていました。
小澤 めちゃくちゃ体張ってて、本当に助かりました。
大内田 でも、自分のパスから…(インターセプトされて先制トライを許す)。
小澤 あれはちょっと許せないですね(笑)。
大内田 ただ、あれで吹っ切れた感じはありました。
――小澤選手は後半37分からの登場でした。ほとんどがディフェンスの時間でしたね。
小澤 帝京がナインシェイプでぶつけてきたので、交代で入った自分と門脇(遼介)がとにかく順番に回って、何回もタックルしないといけないと思っていました。フィジカルで押してくると分かっていたので、割り切っていくだけでした。
大内田 外から見ていたら(後半36分に交代)、ジャージーが真っ白な二人がめちゃくちゃ動いていました。
――前節の早大戦で課題となったブレイクダウンが修正できました。
大内田 早稲田戦ではBKの外側のブレイクダウンでプレッシャーをかけられて、ターンオーバーを何度もされました。早稲田の強度やフィジカルを体感したメンバーがチーム全体に共有して、より激しく練習できました。
小澤 早稲田に負けた後から、強度は一段階、上がったと思います。
――ブレイクダウンは筑波大がプライドを持っているところ。そこで負けても、もう一度立ち上がれたのはなぜですか。
小澤 早稲田や帝京は日本一にすごく近いチームだと思っています。早稲田にブレイクダウンで負けて、日本一になるにはこれに勝たなければいけないと教えてもらえた感じがしました。それ以上やろう、あれを超えればいいんだ、という基準が見えたので頑張れました。
――激しいバトルが続く中で、お二人は「病院実習」(さまざな科を実際に周り、診察や医療の現場を見学する)が始まった。
小澤 慶應戦(第2節)の次の日からです。いまは8時に病院に行って、17時頃に終わって練習に合流する流れです。
――かなりハードです。
大内田 一誠は、丈夫だからね…(笑)。
小澤 4年間でリハビリした期間は1か月くらいです。たぶん部員の中で一番少ないと思います。
――大内田選手はケガに悩む時間も長かった。
大内田 足首、ハム…ちょこちょこケガして。
小澤 おぼっちゃんなので。貧弱ですよね(笑)。
大内田 高校生のときに膝の前十字靭帯を断裂して整形外科にずっと通っていたので、そこから整形外科に興味がわいてきました。
――それで医者を目指した。
大内田 もっと早い段階で目指していました。両親が医者なのですが(父は消化器外科医、母は産業医)、その背中を見て「医者、いいな」と。自分で言ったことに引っ込みがつかなくなって、それ以来なるものだと思っていました。
小澤 自分は小学生のときに、どうしてか「お医者さんになりたい」と言っていて…。そのまま医者になるものだと思って過ごしてきました。子どもと触れ合うのがもともと好きなので、おそらく親から小児科医を勧められたのだと思います。
――ラグビーと勉強はどう両立したのでしょう。
大内田 まったく真逆(のアプローチ)だよね。
小澤 うん。僕は中学のときに(國學院)久我山と(進学校の)日比谷高校のどちらに行くかすごく悩みました。でも、勉強は一人でできるかなと。花園に行きたい気持ちが強かったので、久我山に決めました。朝4時に起きて勉強していました。練習がキツすぎて夜は寝てしまうので(笑)。それなら練習から帰ってすぐ、9時頃には寝て朝早く起きようと。
大内田 僕は朝が弱くて夜型だったので、7時ぐらいに部活が終わってから学校の目の前にある塾の自習室で11時ぐらいまで勉強していました。
――眠くなりますよね。
大内田 眠かったです。寝落ちする日もありました。自分も高校選びは悩みました。ヒガシ(東福岡)でラグビーに集中するか、鹿児島のラ・サールで医者を目指すか、修猷館で勉強しながらラグビーも高いレベルでやるか、の三択でした。2年生のときに花園が100回大会で、福岡で2枠出られるチャンスがあったので、修猷館に決めました。結局、花園には行けなかったのですが…(笑)。
――一方で、小澤選手は3年時に久我山としても久しぶりの花園出場を叶えました。
小澤 小学校、中学校とずっとメンバーには恵まれているんです。千歳中でも1学年下に海老沢琥珀や伊藤利江人(ともに明大)がいて、久々に全国大会に出られた代でした。
大内田 僕らも強い代だったんですけどね…。同期に(福島)秀法、(糸瀬)真周、1学年下に米倉翔、島田隼成(全員早大)がいました。決勝で筑紫に負けました。筑紫には髙木(海斗/筑波大NO8)がいましたね。
――大学でも両立の道を選びました。
小澤 ラグビーも本当に好きだったので。私立の医学部は(学費が)高いですし、中学のときから筑波一択でした。
大内田 自分もまったく同じです。あとは、福岡には同世代にトップレベルの選手が多かったので、負けられないと思いました。
――小澤選手は花園期間中も受験勉強を。
小澤 いえ! 公募推薦で受かったので、花園前に決めることができました。
大内田 自分は年明けにセンター試験を受けて、2月末に2次試験がありました。ヒガシに負けたのが11月20日だったので、そこから本気で頑張りました。
――入学した際に、医学類の同期がいたことに驚いたのでは。
大内田 絶対に一人だと思っていましたし、6年間は一人で頑張ろうと思っていました。めちゃくちゃ心強かったです。授業もずっと一緒なので、毎日ご飯も一緒に食べてますし、一番仲良いですね。
――大内田選手は1年時の春からメンバーに絡んでいましたが、先述の通り、ケガが重なった。
大内田 3年時の対抗戦前に、膝の前十字靭帯を断裂しました。1年間、試合に出られないと分かったときは色々考えましたね。本当に第一線に戻れるのか、選手であることが何の価値を残せるのか…。筑波のラグビー部には「可能性を示し続ける」というビジョンがあるのですが、その言葉を思い出しました。自分が両立している姿を見せることで、いろんな人に可能性を示し続けたい。もしかしたら間に合わないかもしれないけど、諦めずにリハビリしようと。
――小澤選手も2年時からメンバー入りしました。入学時にFLからコンバートした。
小澤 入学した時はサイズ(172センチ、103キロ)も考慮して、HOをやっていました。でも同期にHOが3人もいて、あまりしっくりもきていなかった。半年経ったタイミングで、嶋さん(嶋﨑達也監督)から1番をやってみないかと言われて。コンバートして良かったです。
――左PRはしっくりきたんですね。
小澤 いや、それがものすごく時間がかかって…。嶋さんに何度もチャンスをもらっていたのですが、コラプシングばかりでまともにスクラムが組めませんでした。組めるようになったのは、3年生の途中くらいです。
――左PRは左肩が空いている分、安定させるのが難しい。
小澤 本当に難しいです。
大内田 わからん(笑)。
小澤 ”技術の1番”だよ。
――3年時に手応えを掴めたきっかけは。
小澤 竹内柊平さん(日本代表)に1個アドバイスをもらって、それで変わりました。「足の位置を下げろ」と。
大内田 それだけ!?
小澤 それで劇的に変わりました。落ちないように前に行かなきゃという意識が強すぎて、どんどん足の位置が前になっていました。後ろに下げるのが怖かったのですが、1回信じてやってみろと。それで試してみたら、ちゃんと組めた。(竹内さんは)みんなの師匠です。
――小澤選手は今季のスローガン『ROCK YOU』の発案者でもあると聞きました。
大内田 「俺には案がある」と、ずっと言っていました。それで、みんなで案を出し合うときに、大きいスピーカーからQueen(クイーン)の『We Will Rock You』を流し始めて(笑)。ホワイトボードに書いて、これでいきたい! と。
小澤 ずっと温めていたんです。日本語だと、揺さぶってやるぜ、驚かせてやるぜ、みたいな意味です。
大内田 最初はみんな「ん?」って感じだったんですけど、国立競技場の観客全員を揺さぶってやろうぜとか、熱い思いを聞いて「いいね」となりました。
小澤 これも「可能性を示し続ける」に繋がると思っています。国立大学が日本一になれたら、驚かせられるし、揺さぶれるなと。
大内田 実は、サブスローガンの一つの「狂う」は自分が案を出しました。修猷館でよく言われる言葉です。実力では劣るかもしれないチームが、強い相手に勝つためには実力の100%ではなく120%を出さないといけない。そのためには「狂う」ことが必要だと。接点で狂ったように前に出る、狂ったようにタックルする、狂ったように走り回る…。みんなに共感してもらいました。
小澤 それもいいじゃんとなって、「ROCK YOU」が負けそうになりました(笑)。
――結果的に医学部の二人が考えたスローガンをみんなが体現してくれている。
小澤 ありがたいです。
大内田 やっぱり、口が上手いからね(笑)。冗談です。
――昨季の上位校との対戦が終わり、ここからは下位チームとの対戦に移ります。
小澤 去年は青学に負けているので、気を抜くことはないです。あの試合には出ていないけどめちゃくちゃ悔しかったし、ずっと忘れません。残り3試合も絶対に落とせない。
大内田 僕たちは青学に負けたこと、帝京に何も通用しなかった悔しさからスタートしたチームです。原点の一つである青学、そして立教、日体にも、しっかり自分たちの力を出すことにこだわっていきます。



