コラム 2025.09.01

【ラグリパWest】チャレンジ。梁川賢吉 [クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/FL]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】チャレンジ。梁川賢吉 [クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/FL]
リーグワン有数のFW第3列を誇るクボタスピアーズ船橋・東京ベイに加入した梁川賢吉。筑波大出身の2年目FLは「チャレンジ」と言い切り、その一角に食い込むべく、日々を過ごしている

 チャレンジ。

 若き梁川賢吉(やながわ・けんきち)もこの命題に取り組んでいる。クボタスピアーズ船橋・東京ベイのFLは188センチ、104キロの堂々とした体躯を持っている。

 愛称<けんきち>は23歳。この略称「S東京ベイ」のFW第三列を形容する。
「強烈ですね」
 切れ長の目は鋭い。こげ茶色に日焼けして、野性味がさらにあふれる。

 準優勝に終わった先のリーグワンのシーズン、オレンジのFW第三列は主にタイラー・ポール、末永健雄、主将のファウルア・マキシが担った。背番号の若い順である。

 そこにピーター・ラピース・ラブスカフニが加わる。マキシとラブスカフニの日本代表のキャップ数は15と19。けんきちは言う。
「この第三列は代表レベルですね」
 けんきちは加入してから2シーズン、公式戦出場はない。牙城を崩すのは難しい。が、それを崩すのが本当のチャレンジだ。

 今は肉体改造に取り組んでいる。
「走り回って、当たり続けるしかありません」
 懸垂で背中の筋肉を鍛える。今は30キロを体にくくりつけ3回できるようになった。
「入った時は全然でした」
 昨年4月、筑波から大卒の社員選手として、親会社とも言うべきクボタに入社する。

 GMの前川泰慶(ひろのり)は評する。チームに迎え入れた現場トップである。
「立ち姿がいいんですよね」
 けんきちはすらっとしている。そこに選手としての魅力を感じる。シルエットのぶさいくな名選手はいない。手足も長く、ラインアウトではそれが長所になると見ている。

 その期待を形に変えるためのサポートは手厚い。昨年11月、新しい選手寮が完成した。けんきちは説明する。
「むちゃくちゃいいところです。1人部屋で9畳くらいの広さがあります」
 便利さも兼ね備える。JRや東京メトロなどが乗り入れる西船橋の駅から徒歩圏内だ。

 筑波は部員の自立を促することもあって、専用寮を持たない。食事は自炊だ。
「麻婆豆腐はひき肉を炒めて、豆腐を入れ、レトルトの素をかけていました。あとはインスタントのみそ汁です」
 今、けんきちは目を丸くする。
「びっくりっすよ。ごはんは美味しいし、量も多い。バランスも考えられている。洗いものもありません。田所さんに感謝です」
 田所芙実はチーム付きの管理栄養士であり、選手たちの食事を調理している。

 午後からの練習なら昼夜の2食が出る。ある日の昼はポークソテートマトソース、鶏肉と里芋のグリーンカレー煮。夜は豚ロースのケチャップ炒め、サバの塩こうじ焼き。主菜は2品で副菜も2品は用意される。そこに、ごはん、みそ汁、果物などデザートがつく。

 学生の時と比べ、生活の質は格段に上がる。その筑波では1年生から公式戦に出場した。副将となった4年時は関東対抗戦で4位。大学選手権は60回大会(2023年度)。8強で準優勝する明治に7-45で敗北した。

 実はけんきちの第一志望は慶應だった。AO入試など4回受験したがダメだった。
「その時、嶋﨑さんが誘ってくれました」
 筑波監督の嶋﨑達也はその能力を評価する。梁川は一般入試で現役合格を勝ち取る。

 筑波では個性豊かな人たちを目の当たりにした。世界が広がる。
「入学したら、慶應に行きたかった気持ちは吹っ飛びました」
 入学時の4年生は中田都来。医学群にいながら、FLのレギュラーだった。今は整形外科医となり地元の関西に戻っている。

 1学年下には情報学群のFB西川立旺(りお)がいた。年はひとつ上。2浪の間、アルバイトをして学費を貯めていた。
「器が大きいんですね。1軍の試合出場こそなかったけど、面白い人でした」
 西川は今春、三井物産に入社した。

 西川の出身高校は大阪の高津(こうづ)。けんきちも中学卒業までこの大阪にいた。ラグビースクールに入ったのは小1。阿倍野から小6で堺に移った。堺には中学部があった。競技を始めたのは経験者だった父の影響だ。

 高校は広島の尾道を選ぶ。
「ラグビーと勉強が両立できると思いました」
 普通科に入学。コースは一番難しい<最難関>だった。
「朝4時起きで勉強していました」
 その後、1時間ほどの朝練習をする。

 ただ、その<寮>は狭かった。
「6畳くらいの部屋に5人くらいで住んでいました。2段ベッドが2台入って、押し入れでひとりが寝ていたような記憶があります」
 その経験もあって、S東京ベイでは新築のラグビー寮のありがたさを感じている。尾道は最近、100人収容の専用寮を新築した。けんきちの体験はもはや昔話になった。

 高1からけんきちは公式戦に出場。3年間、冬の全国大会に出る。高3時の99回大会は2回戦敗退。京都成章に14-32だった。
「前半は14-10で勝っていました。悔しかった。でも3年間、やり切りました」
 慶應を志望したのは、ひとつ上でFBだった髙武(こうたけ)俊輔がいたからだ。髙武は現役で合格し、公式戦に出場している。

 その尾道、筑波を経由して、けんきちはクボタに入った。社員選手として練習グラウンドのある京葉工場の勤労課に配属された。
「年1回の工場の慰労イベントの準備や福利厚生施設のメンテナンスなんかの担当です」
 工場勤務のため、4勤2休のサイクル。練習がオフでも、工場は稼働している日がある。
「給料をいただいている責任があります」
 弱音は吐かない。

 けんきちは社員選手として2年目に入った。仕事の勝手や練習のこともわかってきた。
「やるからには試合に出たい。ラグビーも仕事もしっかりやりたいです」
 そびえたつバックローの4人はすべてプロ選手。そこにけんきちが食い込めば、社員選手の花形になる。チャレンジは難しければ、難しいほどやりがいはある。自分が成長させられること、また必至である。

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