原点回帰で復調。永田虹歩[PR/PEARLS]
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愛知は佐髙裕佳、谷口琴美、加藤幸子といったフロントロー大国だ。
代表キャップ27を持つ永田虹歩も例に漏れず、前回大会のW杯まではHO、現在は右PRを主戦場とする。
162センチ、80キロの体躯を生かしたボールキャリーが魅力だ。
楕円球との出会いは偶然だった。授業前に友だちと「プロレスごっこ」をしている様子が、元気があり余っているように映ったのだろう。
中学1年時(豊正中)の終わりにラグビー部の顧問だった元日本代表の永田早矢さんに伝わり、部と愛知ラガールへの加入を勧められた。
入部前は美術部に所属。中学まではラグビーと並行してクラシックバレエも続け、過去にはピアノ教室にも通っていたりと、芸術の世界の住人だった。
「でも、ラグビーの方が圧倒的に向いていました。体格も大きかったですし、試合になると夢中になれました」
西陵高校では伝統校ならではの独自の文化を吸収。身についた習慣がいまも抜けないと笑う。
「西陵ではボールキャリーやタックルの時に『よいしょ!』とか、何かを言って当たらないといけなかった。いまでも言ってしまうので、みんなにイジられます」
高校生活は苦労を重ねた。想像以上に男子部員と同じメニューができず、日本代表の登竜門である冬の「U18花園15人制」の出場メンバーからも落選した。
ただ、いまでは「あそこで挫折してよかった」と言えるほど、国際武道大で孤軍奮闘する原動力となった。
1年時にレスリー・マッケンジーHCがキャンプに招集していなければ、この才能は埋もれていたかもしれない。
「大学は人数が少なくてほとんど合同チームでした。でも(大学のある千葉の)勝浦は離島かと思うくらい世間から離れている。強くなりたければ、自分でやらないといけなかったんです」
そうして掴んだいまのポジション。その原点を、最近は忘れかけていた。
2023年W杯直前に、NZに大敗したことを契機にNZ留学を決意。その年の冬には海を渡り、翌2024シーズンはブルーズ・ウィメンとの契約を勝ち取る。先発フル出場でPOMに輝いたり、スーパーラグビー・アウピキを制する代え難い経験もできた。
しかし、その間も実はスランプに陥っていたという。NZ、代表、パールズの活動と、休みなく国内外を飛び回っていたから、「充実していた」反面、知らぬ間に心が疲弊していた
のだ。
それに本人よりも早く気づいたのはレスリー・マッケンジーHC。昨年6月のフィジー遠征後、「パールズにいることで自分のスタンダードを下げているのでは?」と指摘された。
「その通りでした。レベルの高い人たちと一緒にラグビーをする環境に初めて身を置き、いつしかそれについていくだけになっていました」
国際武道大時代を思い起こし、ランニングにウエートと、厳しいトレーニングを自らに課した。
「自分の中でこれだけやったと満足できていないと、やっぱりプレーに自信が持てない。そこは密接に繋がっていると感じました」
前回大会は押しつぶされそうな重圧に耐えきれず、1戦目から先発、リザーブ、メンバー外と調子を落とした。
しかし、スランプを抜けた永田はいま、万全のメンタリティで2度目のW杯に挑む。
(文/明石尚之)
※ラグビーマガジン8月号(6月25日発売)の「女子日本代表特集」を再編集し掲載。掲載情報は6月15日時点。