気力で生きる。がんと闘い続けたプロラグビー選手・田中伸弥の記録。【後編】

◆最後の目標、兄弟対決
復帰を果たした伸弥に、チームからPRへの転向が打診された。「ここまでやな」。伸弥はスパイクを脱ぐ決意をした。
吹っ切れた。終わりが決まると、やるべきことが明確になる。「最後の試合に出る。兄と同じグラウンドに立つ」。その目標に向かって、一直線に進んだ。
奇しくも2023-2024シーズンの締め括りは、健太が所属する花園近鉄ライナーズとの一戦だった。だが、今のままではメンバーには入れない。何が足りないのか、ヘッドコーチに直接聞きに行った。
「ディフェンスはOK。でもフィットネスが足りない」
伸弥は死にものぐるいで走った。GPSの数値が異常値を示しても走り続けた。トレーナーに止められてもこの時ばかりはやめられなかった。
「最後なんや。やらせてくれ」
一方、兄・健太も覚悟を決めていた。
「自分もしっかり結果を出さないと、ピッチには立てない。弟との約束を果たすためにも、一つ一つ積み上げていこうと思っていました」
最終戦の1週間前、伸弥はブラックラムズ東京とのトレーニングマッチで40分間出場した。「たった40分なのに、足に力が入らないくらい疲れました」。
この試合は、選考を兼ねた舞台だった。「怪我したらどうしよう、脳震盪を起こしたらどうしよう、良いプレーができなければ…そんなことばかり考えていました」。
試合に対する“怖さ”を感じたのは初めてだった。
だがその日のパフォーマンスが評価され、メンバー入りを果たす。プロの世界、決して情でメンバーが決まるわけではない。伸弥は自らの力を示し、掴み取ったのだ。
そして迎えた、2024年5月5日の花園近鉄ライナーズ戦。兄弟で同じピッチに立った時間は、ほんの1分足らずだった。 それでも、かけがえのない瞬間だった。
「伸弥がグラウンドに入ってくるところを見て、誇らしかった」
兄・健太の目には、確かな誇りと感動があった。
伸弥にとって、その1キャップは、生涯忘れられないものになった。それは同時に、プロラグビー選手としてのキャリアの幕引きでもあった。
◆今を生きる
現在、田中伸弥はリーグワンのチームでS&C(ストレングス&コンディショニング)コーチになることを目指している。 アスリートの支援を行いながら、自らの経験を次世代につなげようとしている最中だ。
「自分は元ラグビー選手であり、ガンサバイバー。その両方の経験を伝えられるのは、自分しかいない」
ただ理論を語るのではなく、自らの身体と心で経験してきたことを活かして、 ラグビーに直結する実践的なトレーニングを教えたいと考えている。また、がんと闘った経験を活かし、メンタル面でのサポートにも力を入れたいという。
「メンタルで支えられることも多い。僕だからできることがあると思っています」
チームメイトだった岩村昂太は言う。「あれだけひた向きに、そしてポジティブにトレーニングできる伸弥には、ぴったりの仕事だと思う」。兄・健太もまた、「病室でトレーニングするくらいですから。天職でしょう」と語る。
田中伸弥にしかできない道を、今、彼は歩き出している。
◆すべてはチャレンジ
SNSでは、自身のトレーニング風景を発信している。
「がんになっても、こんなに動ける」「こんな身体になれる」。その姿を見て、誰かが少しでも前を向けたら——そんな想いで発信を続けている。
「身体を見てもらうことで、その過程や背景を想像してもらえる。言葉よりも、届くものがあると思うんです」
大きな手術痕も、隠さない。
「大丈夫。がんになっても、こんなにやってる奴がいる。その姿を見て、元気を出してほしい」
そして、彼はこう続けた。
「自分は何度も“死”を覚悟してきました。だからこそ、死ぬ以外のことは全部チャレンジだと思えるんです。人生には、たくさんの選択肢がある。どちらを選んでも、死ぬわけじゃない。だったら、勇気を持って進めばいい」
その言葉は、どこまでもまっすぐで、温かかった。
田中伸弥。 幾度となく命と向き合い、そして今も、自分にしかできないチャレンジを続けている。
神様、どうか今の伸弥を応援してください。そう、願いを込めて。
(前編はこちら)