コラム 2025.03.05

【ラグリパWest】真のボランティア。佐々木隆太郎 [福岡県立浮羽究真館高校 ラグビー部/バイス・コーチ]

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】真のボランティア。佐々木隆太郎 [福岡県立浮羽究真館高校 ラグビー部/バイス・コーチ]
佐々木隆太郎さんは福岡県立浮羽究真館高校ラグビー部の「バイス・コーチ」として、県内の中学生を中心にこのラグビー部のよさを伝えて回っている。住友生命につとめる55歳。吉瀬晋太郎監督は佐々木さんに絶対的な信頼を置いている。

 その高校のラグビーチームに佐々木隆太郎は初見で心を奪われる。9年前の春だった。

 チームは寄せ集めで大雨の中、練習試合に臨んでいた。
「小っちゃくて、下手くそでした」
 あとで聞けば2人はバスケとバレーからの借りもの。女子もひとり入っていた。

 タックルに行った選手が頭から落ちた。安全のため、佐々木は外に引っ張り出した。
「戻して下さい。俺が出なかったら、メンバーが足りなくなって、試合ができなくなる」
 その選手は責任感から自らの状況を考えず号泣する。<ただの練習試合ぜ>。佐々木は思った。

 そのチームは予想に反して、「タックルにバチバチいって」、2点差で勝ってしまう。
「試合後、雲の切れ間から光が差し、まるで映画のワンシーンを見ているようでした」
 55歳になった今でも鮮明に覚えている。試合後、監督も選手も、そして佐々木も泣いた。

 素人を含めて、ここまでメンバーを感化した監督は吉瀬(きちぜ)晋太郎だ。高校は浮羽究真館。吉瀬は前年2015年、保健・体育教員として赴任した。在任わずか1年である。

 吉瀬はこの福岡の県立校が統合する前の浮羽の卒業生である。全国4強を誇る京産大に一般入試で合格し、最後にはメンバー入りを果たした。熱意と努力が並立する。

 その16歳下の吉瀬に佐々木はほれ込んだ。あいさつ程度の仲だったが、手伝いを申し出る。今は「バイス・コーチ」として、ラグビースクールの指導員や中学生たちに浮羽究真館のラグビー部を紹介して回っている。

 紹介にとどめないといけない理由がある。
「公立のため、勧誘をしたり、受験をうながすことはできません」
 吉瀬は話す。入学保証はできない。佐々木はそのことを理解して、出過ぎない。

 バイス・コーチというのは吉瀬と佐々木が考えた造語だ。<コーチを助ける>という意味をこめる。吉瀬の評価は最高だ。

「紹介だけで十分効果はあります。佐々木さんがいなければ、今の浮羽究真館はありません。監督をさせてもらっているのは目の前に佐々木さんを慕う子供たちがいるからです」

 チームは先月2月に終わった県新人戦で過去最高タイの4位に入った。準決勝で冬の全国優勝7回を誇る東福岡に7-88、3位決定戦では修猷館に21-38だった。

 この県4強入りは、浮羽の創部の1965年(昭和40)から数えれば3回目。6年前の新人戦と続く春季大会以来だ。吉瀬が3回とも指導を施し、佐々木がコーチをしたり、紹介者としてチームの存在を広めた。

 佐々木は目鼻立ちがはっきりして、赤銅色だ。俳優のジャッキー・チェン似。ハンサムである。出身は長崎県の対馬だ。日焼けは朝鮮半島に近い島育ちの証明でもある。

 対馬高ではバレーをやった。その時、一生忘れられないアクシデントが起こる。セッターの佐々木のボールが悪く、親友がヒザのじん帯を切った。試合に出られなくなる。

 佐々木は罪の意識にさいなまれる。
「誰か殺してくれないか、と。自分で死ぬ勇気はありませんでした」
 コンタクトスポーツなら、あるいは望み通りになるかもしれない。進学した九州産業大では比較的、大学から始める選手が多いアメリカンフットボールを選んだ。

 この直線的な純粋さが佐々木の優越する点のひとつである。だからこそ、紹介だけでも年若い中学生たちにその思いは伝わる。

 やがて、命を絶つ思いは薄れる。時の流れとともに競技に没入しだす。現役時代の体格は171センチ、90キロ。レシーバーを主にやった。大学卒業後、プロになりたい、と思った。関東に行く。

 その地で妻の園子と出逢った。
「僕みたいな男について来てくれるのは、彼女しかいません」
 妻は当時、中学校の養護教諭をしていた。純真な佐々木を保護したと言っていい。

 27歳の時、対馬に戻る。建材を扱っていた実家を手伝う。その時、ラグビーと出会う。
「九州電力のラグビー部OBが対馬で働いていて、クラブチームを作っていました」
 まだ動ける。同じフットボールでもあった。

 その後、コーチ講習会などに参加。自分なりに勉強を重ねる。ラグビースクールの指導員もやった。36歳の時には福岡に戻り、地質調査系から建築系と2つの会社で働いた。先輩やいとこの引きだった。

 その建築系の仕事も7年前にやめた。
「忙しくてラグビーに行けなくなりました。それがストレスになりました」
 生活費を稼ぐため、吉瀬の紹介でぶどうなどの果物農家で体を使うアルバイトをした。

 今は住友生命の福岡支社に籍を置く。
「営業ではなく、コンプライアンスに関する仕事をさせてもらっています」
 法令順守。佐々木の邪念や私欲のない性格には合っている。週末は休日になる。ラグビースクールを最低3つは回れる。

 その浮羽究真館のバイス・コーチは無報酬で引き受けている。吉瀬は言及する。
「謝礼どころか、実費の交通費すら受け取りません。うどんなんかをごちそうしようとするのですが、それも自分で出そうとされます」
 真のボランティアである。

 佐々木は言う。
「僕は十分な報酬をいただいています」
 縁もゆかりもないチームで大切に、そして必要とされている。それ自体が報酬だ。

 その上で希望を口にする。
「日本一になってほしい」
 吉瀬は10年前、赴任時に「日本一」を掲げた。周囲は笑ったが、力は徐々に高まっている。その偉業を助けたい。達成できれば、それは佐々木にとって過去一の報酬となる。

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