【コラム】奇跡の一戦を、あらためて振り返る。早大学院vs國學院久我山
天王寺高校100周年の記念誌に掲載されている岡仁詩氏(同志社大元監督)のコメントに、大西先生についての記載がある。大西門下生の一人だけあって、言葉に深みがある。
「大西先生は早稲田高等学院を指導して、久我山を破った。自分にはとてもそんなことはできないし、やってはいけないことのようにも感じている」
このような圧倒的に強い対戦相手に、勝てると本当に思っていたのだろうか。普通に考えれば勝負にならない試合に、なぜ本気で勝つ気で挑めたのだろうか。
現・上智大の教授で、当時11番で先発した安増は決勝当日、自宅を出る際に「勝ってくる」と一言だけ両親に言い残し、玄関を出たという。安増の父が早大教授であったため、そのエピソードが大西先生に伝わり、われわれも知った。
安増本人曰く「あの頃は無知で純粋だった。確信があるわけはなく、でも負けることは考えていなかったかな。ただ、対面は抜かせない自信はあった」。
このような強者に立ち向かう心構えが、全員に醸成されていて、ゾーンに入っていたのだろう(翌年の久我山は本城を中心に、全国大会を最後まで圧勝で勝ち抜き優勝を遂げた)。
全国大会では1回戦で報徳学園高校と引き分け、抽選負けで彼らのラグビーの青春が終わった。
しかしこの不完全燃焼が、3年生8人の早大ラグビー部入部に繋がる。
そして彼らが大学4年になった時、リーダーの陣容は高校と同じ寺林主将、佐々木副将となり、ワセダ復活を託された大西先生がその1年だけ早大監督に復帰した。
このような不思議な御縁が繋がり、再び劇的なドラマを生んだ。
1981年12月6日。早大が4年間負け続けた強豪・明大との伝統の一戦、旧・国立競技場でのラグビーの試合で史上最多の観客を集めたといわれる試合は、圧倒的な明大有利の予想を覆して早大が21-15で勝利、関東大学対抗戦を全勝で優勝した。
早大学院のメンバーが後に、日本の中枢を担う、リーダーへと育っていく。
主将・寺林努=東京海上日動常務執行役員、副将・佐々木卓=TBSテレビ会長、石井敬太=伊藤忠商事社長、竹内徹=三越伊勢丹副社長、本山浩=味の素常務執行役員(いずれも最終役職)。
大西先生は常に学生に対し、「僕は君たちにラグビーの技術を教えているのではない。ラグビーというスポーツを通して、緊急事態にも冷静な判断ができる、ナショナルリーダーを育てているのだ」と言っていた。
何のためにラグビーに青春を捧げるのか。
身体を鍛えるだけではない。さまざまな困難と向き合い、人格形成、その芯にある心を鍛えるためにラグビーをするのだ。
かつて吉田松陰が松下村塾から幕末を動かした多くの偉人を輩出したように、指導者の強烈な情熱、その根底に流れる深い哲学が卓越した人材を生む。そして、時代が動いていった。
ひとつの高校のラグビーチームから、これだけの人材が輩出されていった。それは現代の松下村塾のようだ。
ラグビーというスポーツが、世の中に貢献する証左である。
どんな強い相手にも、打ち勝つことができるという信念。
チームがひとつになることで、強大な力が生まれる魔法。
全国の多くのラグビーチームが、強い相手に物怖じせず、闘争心と頭脳と身体を使い、高い目標を目指し、精練達成されんことを願う。
早大学院ラグビー部顧問の哲学者、伴一憲先生(元早大学院長)は、大西先生生誕100年式典の時に、「84 年生きてきて、たったひとつだけ良いことをいたしました。それは、大西哲学『闘争の倫理』を世に出す仕事の手助けをしたことであります」と、最後の講義を締めくくった。