コラム 2024.06.10

【ラグリパWest】チーム作りの要。西内勇人[静岡ブルーレヴズ/選手リクルート]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】チーム作りの要。西内勇人[静岡ブルーレヴズ/選手リクルート]
リーグワンの静岡ブルーレヴズで選手リクルートを担当する西内勇人さん。独特の眼力で将来性豊かな選手たちをチームに誘い込む。この日は静岡から大阪に飛び、関西大学で練習視察を行った。佐藤貴志監督は前身のヤマハ発動機の先輩でもあり、心安い。この人脈の豊富さも西内さんのアドバンテージのひとつである

 小松節夫は先ごろ、西内勇人(にしうち・はやと)について話したことがある。

「2回ほど、ウチに来たけど、最初から最後まで黙って、ずーっと練習を見ていたわ」

 凝視はすべての選手をチェックするため。逸材を探し、リーグワンの静岡ブルーレヴズに導き入れる。西内の役職は選手リクルート。別称は採用やスカウトである。

 小松は天理大に、西では同志社に次ぐ学生ラグビー日本一の称号をまとわせた。その61歳監督の印象に30歳下の西内は残る。

 西内は常にひとりで動く。
「その方が集中できますから」
決して群れない。その笑顔は縁側でのどかに日を浴びている大きな猫の感じが漂うが、練習や試合を見る目は細く、光る。

 鋭い視線はFLだった名残もある。レヴズの前身であるヤマハ発動機の時代には181センチ、103キロの体をたのみに、ボール獲得の最前線で青いジャージーのために戦った。

 西内の動きは埼玉西武ライオンズのスカウトと重なる。今のことは知らないが15年前はそうだった。西武鉄道が球団を買収し、迎えた最初のシーズンは1979年(昭和54)。監督や管理部長としてパ・リーグ優勝18回の骨格を作った根本陸男は単独行を励行した。

 他チームと行動をともにすると情報も入るが、抜かれたりもする。こちらが狙っている選手を教える必要はない。横取りされれば、強化の計画に支障をきたす。

 西内が現職についたのは2021年の12月だ。2年半ほどが経った。獲得に携わり、すでにチームの軸になっている選手にSOの家村健太がいる。昨年1月、京産大の卒業を2か月後に控え、アーリーエントリーでリーグワンデビューを果たした。

 家村はレヴズの司令塔として社会人初年度は公式戦16試合中8試合に出る。先月終わった2年目のシーズンは16試合中10試合に出場した。後半にはケガで戦列を離れたものの、昨年12月9日、優勝するBL東京との開幕戦(30-43)にも先発している。

「家村は学生の時、トライを獲ったあとにぶつぶつとつぶやきながら戻っていました。あとで何を言ってるんだと聞いたら、次のキックオフからの展開を考えていたのです」

 手を抜かない、一生懸命な態度。そこに惚れた。飛距離のあるキック、トライを演出するパスなどを家村は持つが、まず内面のよさがなければ磨かれてこない。

 西内が選手を選ぶひとつの基準がある。
「尖っているかどうかです」
 一芸があればよい。脚が速いとか、体が強いとか。ただ突き抜けていないといけない。
「尖っていなければ、海外の選手をあてはめればいいだけの話ですから」
 西内は外国人を含め、レヴズのチーム編成全体を任されている。GMの山谷拓志や監督の藤井雄一郎からの信頼も厚い。

 その西内を創り上げたのは高校卒業までいた福岡の風土にある。「九州男児」の典型だ。
「近くにラグビーがありました」
 小1で競技を始めた理由を話す。中3まで帆柱ヤングラガーズで過ごした。

 同じ県内には伯父も住んでいた。その娘がひろとまりやの姉妹だった。
「レベルが違います。意識していません」
 西内は芸能界で生きるいとこをたてる。

 高校は東福岡に進んだ。
「藤田コーチが誘ってくれました」
 現監督の藤田雄一郎である。高校時代はグラウンドに散らばった20本の棒状のタックルダミーに走って刺さり続けた。
「これはスキルの練習にはならないが、根性はつく」
 FW担当の藤田の指導でタフになってゆく。

 東福岡では1年生から正選手になる。2、3年と連続して全国大会に優勝する。決勝戦の相手はどちらも桐蔭学園。89回大会(2009年度)は31-5。90回大会は31-31と両校優勝だった。高校日本代表にも選ばれる。

 大学は法政。当時の東福岡監督の谷崎重幸の母校でもあり、誘いもあった。U20日本代表やフル代表の下に来るジュニア・ジャパン入りと順調だったが、大学2年時に首を痛める。以後はケガとの戦いになった。

 ヤマハ発動機は社員選手として誘ってくれた。入社と入部は2015年。ただ、首の状況が思わしくなく、リーグワンの前身であるトップリーグで6シーズンを過ごしたが、公式戦出場は18試合にとどまった。

 首の手術は大学時代から3回経験した。
「最後は右の握力が10くらいでした」
 ラグビーでは活躍できなかったが、採用の仕事を任せてもらえる。
「いい会社だと思います。仕事もラグビーもさせてもらえ、人として大きくなれます」
 現職の前は入社から一貫して、電動アシスト自転車のモデル採算部門にいた。

 2学年下の弟・勇二もヤマハ発動機に勤務している。現役時代はPR。西内と同じ楕円球歴をたどった。兄弟ともに同じ会社にいることも相まって、感謝の念は人一倍強い。

「強いチームを作りたいです。社員選手が多いので自分もフォローして成長のお手伝いをしたい。採用は獲ったあとが大事。獲るまでが仕事、という考えには共感できません」

 ホームタウンの静岡・磐田にいる時は練習を見たり、若手とコミュニケーションを取り、現状を把握している。

 西内はラグビーの黄金世代である「92年組」の中で、新しいひとつの形を作っている。ケガで早く現役を終えたが、人を得る場所で頭角を現し始めている。

 この92年組の日本代表経験者には松島幸太朗、流大や東福岡の同期では布巻峻介らがいる。FB松島とSH流は東京SG、FL布巻は埼玉WKに在籍している。現役引退をして、医師を目指す福岡堅樹もいる。

 先のシーズン、8位に終わったチームを押し上げてゆければ、ボールを追いかけるのみが成功でないことを示すことになる。

 人生は長い。

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