コラム 2024.05.07

【ラグリパWest】京都に還る。 文字隆也[島津製作所/人事部/ラグビー部BKコーチ] 

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】京都に還る。 文字隆也[島津製作所/人事部/ラグビー部BKコーチ] 
トヨタ自動車から島津製作所に転職した文字隆也さん。島津製作所は故郷の京都に本社と工場を置く。文字さんは現役時代、レフティーのSOとして活躍した。今は島津製作所のラグビー部を含め、出身校の京都工学院や法大のコーチもつとめている



 京都に還ってきた。

 18の年までこの地で過ごした。文字隆也(もんじ・たかや)は笑顔が弾ける。
「最高です。鴨川、大文字山、お寺…。ランニングしながらその風情を楽しんでいます」
 この3月末で36歳になった。

 烏帽子(えぼし)が似合う、お公家さんのような柔らかい顔立ち。笑うと目と口は線になる。ラグビーで第一線にいた感じはしない。法大やトヨタ自動車ではSOだった。

 今は京都市内に本社と工場を持つ島津製作所の正社員である。昨年末、トヨタ自動車から転職した。新卒での在籍は14年だった。

 職を変えた理由は色々とある。ラグビーのコーチとしても誘ってもらえたこと。妻も京育ちであること。ひとり身の母を支えたいこと。それらが混ぜ合わされる。

 今の会社では人事部に籍を置く。健康・安全センターの主任をつとめる。
「工場の現場を回ったりもします」
 足元にものがあれば、つまずき、大事故につながる恐れもある。災害を未然に防ぐ。

 島津製作所は精密機器メーカーである。分析計測機器、医用機器、産業機械など多岐にわたる。
「わかりやすいのは病院などで使用するレントゲンなどですね」
 創業は1875年(明治8)。2002年には社員の田中耕一が、生体高分子の質量分析法のための「脱離イオン化法」でノーベル化学賞を受賞した。

 この会社はまたラグビー部を持っている。チーム名は「Breakers」。文字はBKコーチだ。創部は1988年(昭和63)。この年、文字は生まれた。縁がある。チームはトップウエストのAリーグに所属。リーグワンのディビジョン1から数えれば4部になる。

 コーチをしたことはある。2年前には帝京で大学生を指導した。トヨタ自動車から1年間の出向だった。今は空き時間を利用して、母校の法大と京都工学院にも教えに出向く。文字の高校時代の校名は伏見工だった。

 文字の名が一躍騰がったのは伏見工の3年だった。左利きのSOとして、精度の高いキックやパスでチームを全国優勝に導く。85回大会(2005年度)の決勝は桐蔭学園に36−12。母校は歴代6位、4回の全国大会制覇を記録するが、これはその最後にあたる。この夏には高校日本代表にも選ばれている。

 文字が成長を遂げたのはこの高3の時だった。春の選抜は準決勝敗退。啓光学園(現・常翔啓光)に15−24。6回大会だった。
「僕がゴールキックを全部外して負けました」
 総監督の山口良治は言った。
「外すんやったら、誰が蹴っても一緒や」
 京都に戻り、全体練習後に蹴りまくった。
「上田遼が数えながらずっと付き合ってくれました。100本を超えたこともありました」
 上田は同期のSHだった。HB団を組む仲間に支えられる。

 山口もFLの現役時代、キッカーだった。その責任の重さを知ってほしかった。山口の日本代表キャップは13。監督として伏見工を指導6年目で初めて全国優勝させた。60回大会(1980年度)の主将SOは平尾誠二。のちに「ミスター・ラグビー」と呼ばれる。

 その伏見工の偉大な系譜に文字は連なる。大学は関東にゆく。法大を選んだ。
「誰も知らない所に行きたかったのです」
 高校時代は副将。チームに苦言を呈するのは自分の仕事だった。
「でも、きつく言うのはつらかったです」
 芯には優しさがある。

 法大では1年から正SOに抜擢される。
「コーチの駒井さんが評価してくれました」
 駒井は現監督の新宮孝行である。リーグ戦最終の関東学院戦に初先発。29−35と法大を勝たせる。その関東学院は続く大学選手権で優勝した。43回大会決勝は早大に33−26。法大は8強敗退。京産大に28−36だった。

 4年間、レギュラーを張った法大でも同期のSHに感謝がある。
「日和佐の球さばきのおかげです」
 日和佐篤。神戸Sで現役を続けている。日本代表キャップは51を数える。

 就職はトヨタ自動車に定める。
「会社は安定して、京都にも近い。日本人SOとして尊敬する廣瀬さんもいました」
 廣瀬佳司は現・京産大監督。日本代表キャップは40を記録している。

 トヨタ自動車で文字は8年間プレーした。トップリーグの最高位は初年2010年度の3位。首を痛めていたこともあり、172センチとそう大きくない体には疲労が蓄積されてゆく。現役引退は2018年の1月だった。

 その後は社業に専念。本社の労務や工場の総務や広報、ラグビー採用などを経験する。その人事系における人との関りの中で、文字の人間性はさらに磨かれる。そもそも人情に厚かった。競技を始めた中学時代のエピソードが残る。

 嘉楽(からく)でラグビーを教えてくれたのは顧問の吉本康伸だった。文字の3年時、修学院に定期異動をする。熱血指導の吉本を慕う文字はその校区に引っ越しをする。伏見工はその吉本の母校でもあった。

 吉本は20年前、がんのために他界した。その長男・大悟は「文字くん」と兄のように慕う。一緒に墓参りをして、SOの心得を伝えた。大悟は東海大仰星から京産大に進み、現在は3年生。昨年、SOの正位置を確保した。

 文字は人を愛し、人に愛される。
「今は毎日が新鮮。楽しいです」
 その愛をこれからは島津製作所に、そのラグビーにも振り向ける。チームは昨年、大阪府警に次ぎリーグ戦2位。続く三地域順位決定戦でルリーロ福岡に12−59で敗れた。

 ルリーロ福岡はリーグワン三部への参入が決まった。ものさしはできる。ここからの青写真は描きやすい。関東、東海での経験を胸に、文字は故郷の京都で挑んでゆく。

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