コラム 2024.04.04

【ラグリパWest】関西での春。山梨学院高校ラグビー部

[ 鎮 勝也 ]
【キーワード】
【ラグリパWest】関西での春。山梨学院高校ラグビー部
この春に関西遠征をした山梨学院高校ラグビー部(青色ジャージー)。3月25日には兵庫県の報徳学園を訪れ、練習試合を行った。Aチーム(一軍)同士が対戦した30分間の前半では15分にトライを挙げた


 実は山梨が好きである。

 日川(ひかわ)。この県立高校のラグビー部や戦国武将の武田信玄に影響された。

 就学前から花園の高校大会で遊んだ。日川は「基地」の医務室に一升瓶のワインを差し入れた。「紫の葡萄のお酒」は大きかった。

 当時、日川の部長兼監督は上野敦男。大会中の練習は枚方(ひらかた)でやった。この大阪の高校の監督は戸田敬一。上野の日体大の後輩である。戸田には可愛がってもらった。その流れで日川も好きになる。

 日本史がわかる年になると信玄に興味を持つ。中学の時、静岡から身延線を使い、武田神社や恵林寺(えりんじ)などを訪れた。
<信玄は、天才というほかはない>
 司馬遼太郎は『街道をゆく43濃尾参州記』(朝日文庫)で書いている。旧国名「甲斐」を本拠に騎馬中心の軍団を作り、堤防作りや金山開削など富国強兵政策を打った。

 その地にある私立校、山梨学院がこの春、関西遠征をした。この高校は幼稚園から大学までを網羅する総合学園の中にある。

 山梨学院は3か月ほど前の全国大会に初めて出場する。103回大会、この青ジャージーは1回戦敗退。長崎南山に26-28だった。

 先月あった25回目の選抜大会への初出場はならなかった。本大会につながる関東大会で桐蔭学園に7-69、茗溪学園に26-31と連敗した。

 そこから飛躍を期すための遠征だった。部長兼監督の古屋勇紀は理由を話した。
「関西の方がいいチームの数が多いのです」
 日程は3月22日~26日。4泊5日だった。チームは往復1000キロほどを観光バスとワゴン車の計2台で移動した。

 23、24日は京都工学院に通い、天理、関西学院、関大北陽などと試合をした。25日は報徳学園と対戦する。

 Aチーム(一軍)同士の対戦は前半30分のみ。得点は7-28。篠原悠士(ゆうと)は報徳学園との蹴り合いに負けなかった。182センチの大型FBは右からの50メートル級キックを持っている。

 古屋の眼光は鋭い。<風林火山>の旗印の下、戦場を駆けた将の雰囲気が漂う。
「まあ、少しずつ頑張ります」
 自分に言い聞かせるように言った。報徳学園は102回目の全国大会で準優勝した。古屋は還暦を4つ超えている。物事は一足飛びに進まないことを知っている。

 山梨学院の創部は1983年(昭和58)。2006年に一旦休部となった。15年後の2021年に再興された。その指導を託されたのが古屋だった。60歳定年で中学教員を終えた。最後は山梨北の校長だった。今回はラグビー専任であるが、教育者の心を持って臨んでいる。

 古屋は高校日本代表だった。1977年秋に来日した豪州のニューサウスウエールズ州代表と戦う。日体大では2年時にFBとして大学選手権にも出場した。
「キャプテンは岩出さんでした」
 FL主将の岩出雅之は卒業後、帝京の指導者になり、9連続を含む優勝12回のチームを作り上げた。この16回大会、日体大は4強敗退。明治に7-17だった。

 古屋の母校は日川。恩師の上野も同じである。この赤と黒の段柄ジャージーの貢献度は山梨のラグビーにとって計り知れない。創部は1948年。県勢の冬の全国大会出場は58回あるが、そのうち52回を日川が占める。連続出場回数の最長は25。最高位となる4強進出は8回。山梨学院は昨秋の予選決勝で日川を22-12で降している。

 この山梨学院で古屋の上に来る総監督、梶原宏之も日川OBだ。大学の監督と教授も兼務する。57歳の梶原は筑波から東芝府中(現・BL東京)に進み、FW第3列として激しいタックルで日本代表キャップ31を得た。

 この梶原の存在が2021年の部活動再開の根底にある。県の教育委員会から転じて4月で6年目。その間、この総合学園が標榜する地域や社会への貢献に大学のみならず、高校の強化は欠かせない、との認識に至る。

 日川閥のひとりとして、高校コーチの内田啓太もいる。33歳。FBとして2008年度の高校日本代表だった。筑波では4年時に主将をつとめた。クボタ(現・S東京ベイ)で4シーズンを過ごすもケガで現役を引退。現在は保健・体育教員でもある。

 古屋や梶原や内田、そして上野が籍を置いた日川は強くはなくなった。山梨学院に負ける103回まで、17回連続して全国大会に出場したが、最高位は93回の3回戦進出。残り16回は2回戦までに敗退している。

 日川の弱体化を古屋はアクセスに見る。
「私見ですが、東京から電車で通いにくい」
 西東京の八王子からJRの各停なら県庁所在地の甲府まで2時間ほどかかる。
<その本拠の甲斐は日本国の一個の閉所>
 司馬もそう書き、天下獲りができなかった理由として挙げている。

 その不利を取り除くため専用寮を作った。
「スタートは昨年度。96人収容できます」
 古屋は人工芝グラウンドの面数も言う。
「1.7面ですね。補助グラウンドは正規の70パーセントほどになります」
 大学との共用で、合同練習も随時ある。ラグビーをする環境は整っている。

 その噂は四方八方に飛ぶ。この4月に入学する選手は38人。3年生25人、2年生14人を加えると実に77人の大所帯となる。再活動4年目のチームとは思えない。

 ラグビーにとって校内にはお手本とするクラブがある。野球とサッカーだ。野球は昨年の95回選抜大会で初優勝。この春は8強に進出した。サッカーは99回選手権(2020年度)を含め、2回の優勝がある。

 スポーツで名を上げても、この付属高校から大学入学の強制はない。本人の意志を尊重する。ラグビーの場合、この3月卒業のPR足達将太は法政、LO雨宮巧弥(あめみや・たくみ)は明治、NO8吉野大翔(だいと)は学習院にそれぞれ進んだ。

 LOのマナセ・ファーガソンは山梨学院に上がる。マナセの父はブルース。日野自動車(現・日野RD)でLOとしてプレー。日本代表では梶原のチームメイトだった。キャップは17。その関係でフィジーから来る。

 新3年生のLOリアム・ヘンダーソンはニュージーランド、CTBパエア・フォトフィリはトンガからの留学生。この国際色の豊かさも山梨学院の特徴である。

 新主将はPRの渡辺侑(あつむ)に決まった。古屋はチームの目標を口にする。
「まずは、正月を超えよう、ということですね。全国大会での16強入りです」
 信玄の時代から450年ほどが過ぎた。もはや山梨は<一個の閉所>ではなくなった。野球に、サッカーに、ラグビーも続いてゆく。

PICK UP