コラム 2024.02.22

【ラグリパWest】ラグビーのパトロン。脇山章太 [北洋建設/代表取締役社長]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】ラグビーのパトロン。脇山章太 [北洋建設/代表取締役社長]
北洋建設の代表取締役社長をつとめる脇山章太さん。2月10、11日の両日にあった「北洋建設 Presents Nanairo CUP 北九州」では、そのメインスポンサーになった。写真右上のスコアボード下には、「Hokuyo」の大きなバナーがつけられている。脇山さんは慶応義塾理工学部体育会ラグビー部などで競技に取り組んだ元ラグビーマンでもある。


 脇山章太はラグビーのパトロンのひとりである。男盛りの49歳はまた、この競技の経験者でもある。

 肩書は北洋建設の代表取締役社長。その本社は福岡市内にある。

 脇山を頂点とするこの会社は女子7人制大会のメインスポンサーについている。大会名は『北洋建設Presents Nanairo CUP北九州』。今年は2月10、11日に開催された。

 この大会は3回目。銀に輝く優勝カップがその援助の中心だ。脇山は今回、2日間ともに会場のミクニワールドスタジアム北九州に姿を見せた。

「中学生の試合を予選から決勝までやるようにして、ユースからトップまで一貫して見られるような大会になればいいですね」

 中学生の試合は入れられているが、優勝を決めない。脇山は動機づけのためその発展形を思い描く。小学生の交流試合やラグビー体験会などはすでに盛り込まれている。

 大会の一層の盛り上げを考えた発言は脇山が元選手だったことを裏付ける。ラグビーを始めたのは「リコタイ」。その正式名称は慶応義塾理工学部体育会ラグビー部である。

 リコタイは学生クラブとはいえ、75年ほどの歴史を誇る。創部は1950年(昭和25)。安西祐一郎が選手だった。安西は2001年、慶応最高責任者の塾長についた。チームは今、関東学生クラブ選手権の1部に属している。

「高校の時に入っていたボート部の先輩たちが何人かリコタイにいました。それでボートからラグビーに引っ張られた。周囲からは『裏切りもの』と言われたものでした」

 笑いを交えて話す。迫らない物腰、それでいて相手の目を見る。静から動に転じれば、オペラでも歌い出しそうな激しく、文化的な雰囲気が漂う。

 脇山の中学は西南学院。高校から慶応に進んだ。福岡から首都圏へ出る。北洋建設の御曹司(おんぞうし)は大海を見る。
「いや、大海で色々なものを見ました。良いものも悪いものもありました」
 ここでも笑いを含ませる。

 北洋建設は一族企業であり、昨年、創業100周年を迎えた。脇山は6代目社長である。ボートからラグビーに転じた先輩たちにとって、脇山のそのユーモア、言い換えれば愛嬌もまた引き抜きの要素だったに違いない。

 リコタイの雰囲気はよかった。
「名前は理工学部ですが、半分くらい文系の学生もいました」
 脇山も経済学部だった。
「普通だったら理工系の学生と知り合うことはない。ここで多様性を学びました」
 建設会社には現場たたき上げの職人がたくさんいる。それらを束ね、ひとつにする下地はこのリコタイで養われる。

 ラグビーは社会人になっても続けた。総合商社の日商岩井(現・双日)から住友林業に移る。住友林業ではオランダの首都、アムステルダムに駐在した。国際的な感覚も備わる。現役時代は175センチ、80キロほどの体躯。最後尾のFBを任された。

「商社リーグでは4年ほど、オランダでも4年ほどやりました。この国は結構ラグビーが盛んで、リーグが6部までありました」

 帰国後は社長秘書も経験する。そのトップに対する心配りや行動もこの時期に学んだ。13年前に帰郷。北洋建設に入る。2018年に社長に就任した。

 北洋建設は47社で形成される「地域みらいグループ」の中核を成している。グループ全体の社員数は2200人。参加企業は建築や土木から不動産、スポーツ、福祉、教育など多岐にわたる。このグループにも、リコタイで学んだ多様性が息づいている。

 佐嘉酒造も傘下のひとつである。名は「さが」。隣県の佐賀にあり、創業は1688年。江戸期から300年以上続く。その造り酒屋を迎え入れたのは、脇山のビジネス・マインド以上に歴史への敬意や義侠心だ。この蔵が作る日本酒や麦焼酎は大会のアフターマッチファンクションでも振舞われた。

「会社というのは地域に根差し、その技術や事業を磨く。そして、人を育て、未来を作ってゆくものだと考えています」

 脇山はその思いによって、女子ラグビー選手2人をグループに所属させている。永田花菜(はな)と伊礼門千紫(いれいじょう・ちゃみ)。この北九州の大会を実質運営したナナイロプリズム福岡(略称:ナナイロ)のメンバーである。本拠地は久留米だ。

「建築という仕事は元々、男性社会でした。でも今は、技術者として女性を育てるフェイズに入ってきています。そのシンボリックなものとしてナナイロはあります」

 ナナイロのCEO(最高経営責任者)の村上秀孝やその久留米大医学部ラグビー部の後輩である五反田清和とは経営者の集まりで知った。2人は整形外科医として実家の病院を継ぐ。五反田は男女7人制日本代表の医務の世話役をつとめている。その自己犠牲を土台にした2人の生きざまに脇山は共感する。

「ラグビーやっていた人たちって、きつい練習も大人数で乗り越えていきますよね。人のため、チームのためですよね。それがラグビーのよさではないかと思います」

 その経験はグループを導かねばならない脇山の今に生きる。トップひとりが前に出てやるのではない。みんなで力を合わせてやっていく。そこに責任感が生じる。その思いをこの大会を見ながら新たにする。

 その上で、最終的な責任は自分がとる。FBは「最後の砦(とりで)」。抜けて来た相手に一番後ろからタックルを浴びせる。トライを防ぐ。なんとかする。その役割は学生時代から慣れ親しんできた。人生半世紀。脇山のかたわらからラグビーが離れることはない。

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