コラム 2024.02.20

【ラグリパWest】間に合わせる。永田花菜 [ナナイロプリズム福岡/BK]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】間に合わせる。永田花菜 [ナナイロプリズム福岡/BK]
今年7月に開幕するパリ五輪にラグビー女子日本代表として、2大会連続出場を目指す永田花菜。日体大を卒業後、ナナイロプリズム福岡でプレーする。昨年8月にひざのじん帯を断裂。手術から現在はリハビリ中。復帰にかける


 今の永田花菜(ながた・はな)を表現する英単語がある。Aspire。<熱望する>。

 強く願い望むのはオリンピックへの連続出場だ。パリ五輪は今夏7月に開幕する。

 3年前の東京五輪、はなは女子日本代表で出場した。競技は15人ではなく、「セブンズ」と呼ばれる7人制である。

 はなは23歳の若き才能だ。
「また出たい希望があります」
 きれいな歯並びが垣間見える。胸中には、噴き出すようなマグマが詰まっている。それをなまの言葉で表現しない。理性がある。

 マグマとは復帰への切なる思いである。五輪出場の前にまずはその選考の舞台に立たねばならない。はなは昨年8月26日、左ひざのじん帯を切った。英語で「ACL」と呼ばれる前十字である。

 7人制日本代表として参加したアジアシリーズのフィリピン戦だった。
「ステップを踏んだら、こけました。音もしなかったし、痛みもあまりなかったです」
 所属のナナイロプリズム福岡(略称:ナナイロ)に戻り、手術に踏み切った。

 執刀医は前田朗(あきら)。福岡市内で「まえだ整形外科 博多ひざスポーツクリニック」を開業している。ひざの権威だ。元日本代表の福岡堅樹のACL手術を左右1度ずつ引き受けている。その福岡高時代だった。

 福岡は筑波大からパナソニック(現・埼玉WK)に進み、WTBとして日本代表キャップ38を得る。
「両足ともにACLを切って、オペをして、こんなに速くなった選手を初めて見た」
 代表のヘッドコーチだったエディー・ジョーンズは前田の手腕を絶賛した。福岡は今、順天堂で医学生として過ごしている。

 はなはリハビリに五反田病院に通う。大分の日田にある。院長の五反田清和も整形外科医であり、男女7人制日本代表の医務を取りまとめている。ナナイロのトップ、CEO(最高経営責任者)の村上秀孝もまた整形外科医である。はなにはこのナナイロの手厚い医療体制がついている。

 その福岡のはなは後輩になる。同じ福岡高出身だ。県下屈指の進学校であり、ラグビー部は旧制の福岡中時代から数えて冬の全国大会出場は37回。県下では最多である。全国優勝は3回。創部は1924年(大正13)で今年100周年を迎える。主なOBは日本ラグビー協会の前会長、森重隆がいる。

 はなの入学時、女子部員は数人だったため、福岡レディースにも参加した。競技開始は5歳。かしいヤングラガーズである。
「自宅の近くで活動をしていました」
 松崎中を卒業するまで続けた。

 はなのポジションはSOである。
「ボールにたくさん触れられますから」
 168センチの体から繰り出される、精度の高いキックも魅力のひとつ。小4から中3までサッカーもやった。その恩恵だ。

 高3秋の2018年、初めて7人制日本代表に選ばれる。アジアシリーズを戦った。高校生での抜擢は、はなだけだった。

 進路は日体大に定めた。
「代表選手も多く、もっとうまくなりたい、と思いました」
 高3時、日体大在学中の7人制日本代表としては堤ほの花や立山由香里らがいた。

 東京五輪は日体大の3年時だった。はなは5試合中4試合に出場するも、チームは全敗。最下位12位に終わった。 
「もっとやれたんじゃないか、と悔いが残っています」
 昨年5月にあったワールドシリーズのフランス大会では女子史上最高の5位に入った。この大会に出たはなはその思いを強くする。

 東京五輪はまたその実感がなかった。
「無観客だったし、試合が近い、ということで開会式も出ていません。選手村にも泊まっていません。何も味わえていません」
 開催はコロナの真っただ中だった。

 その東京五輪で同期だった弘津悠(はるか)やバックアップメンバーだった中村知春の誘いがナナイロに入るきっかけになる。

 ナナイロの本拠地は久留米。高校までを過ごした同じ福岡県内にある。
「最高です。人が多くないので過ごしやすいし、食べものも美味しい。焼き鳥が好きです」
 Uターンは幸せである。

 勤務先は北洋建設だ。社長の脇山章太は通称「リコタイ」、慶応義塾理工学部体育会ラグビー部の出身である。
「ラグビーに集中させてもらえています」
 はなには感謝がある。

 2月10、11日、はなは女子7人制の大会、『北洋建設Presents Nanairo CUP北九州』に参加した。この大会は実質的に、はなの所属チームが運営して、勤務先がメインスポンサーになっている。

 はなは3回目の大会での立場を語る。
「チームサポートです」
 現在、練習は別メニュー。直線を走り、下半身のウエイトトレに取り組んでいる。
「体は5割弱の戻りです」
 パリに行くためには、遅くとも5月の末には完全復帰しないといけない。ここから3か月ほどが正念場になってくる。

「結果はオリンピックでしか返せません」
 3年前、母国開催の大会は12位だった。コロナで五輪を楽しめなかったこともあるが、出場への動機づけはこの最下位にある。

 大きなケガを乗り越え、連続でオリンピアンになれば、<永田花菜>の伝説が始まる。伝説には困難の克服がつきもの。その日々はまた、周囲の人々に力を与える。焦らず、くじけることなく、前に進んでゆきたい。

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