【ラグリパWest】新しい拠り所。福岡県立浮羽究真館高校ラグビー部
まだ見ぬ高校の全国舞台に到達するため、浮羽究真館のラグビー部にとって、新しい拠り所ができた。
兄貴分の「LeRIRO福岡」の千年寮が今年4月に開寮した。同時に自宅から通えない高校生たちが温泉旅館からここに下宿先を変えた。アルファベットは「ルリーロ」。地名は「ちとせ」と読む。
吉瀬(きちぜ)晋太郎は赤銅色に日焼けした顔を緩ませる。
「いいですね。チームにとって大きいです」
共同生活は一体感を醸し出すのに欠かせない。選手43人中、半数にあたる22人がここの下宿人になっている。
吉瀬は浮羽究真館の監督、そして保健・体育の教員である。来月で38歳。この福岡の県立校は母校であり、2015年に帰って来た。この春から赴任9年目に入った。
ルリーロは昨年3月、うきは市に創設された社会人のラグビーチームである。この同居する寮から浮羽究真館までは自転車で10分ほど。同じ市内にある。ここのグラウンドは高校生と社会人の本拠地になる。平日の練習は高校生が先行。2つのチームは、「持ちつ持たれつ」の関係でもある。
昨年6月、浮羽究真館とルリーロ、そして、うきは市と市の商工会の間で4者協定が結ばれた。高校生は全国大会出場、社会人はリーグワン参入を目標として、地域をラグビー・タウン化する構想が進んでいる。
同居はその協力関係の一環でもある。鉄筋3階建ての建物は市が探し出してくれた。元々は医療関係の宿泊施設だった。
「部屋数は2階に19、3階に15あります」
吉瀬は説明する。基本2人部屋。医療施設だったため、各部屋にはトイレと風呂が完備。ひとつ部屋で生活はほぼ完結する。
食事は朝晩の2食が保証されている。吉瀬はそこに注釈を加える。
「ごはんは食べ放題で、お昼用にここから好きなだけ持ってゆくことができます」
登校すれば校内食堂がある。人気の手のひらサイズの大きな鶏唐揚げは140円だ。寮費は月5万5千円。本来は7万5千円だが、市が2万円の補助を出している。
そのごはんを以前、寄付してくれたのは地元の農協の「JAにじ」。1トン=1000キロの米が届いた。4人家族なら1か月にすれば100ほどの家庭が消費する量になる。また、このJAは経営する道の駅などで、余りそうな野菜なども持ち込んでくれる。
吉瀬は頭を下げる。
「みなさんにお世話になって、本当にありがたいです」
役所も農協も地域も含めて、「おらが町」の高校を全国に押し上げたい思いがある。
浮羽究真館の創部は「浮羽」時代の1965年(昭和40)。今年59年目を迎える。吉瀬は浮羽を卒業後、京産大に入学した。母校は大学選手権4強9回の強豪である。現役時代は猛練習をくぐり抜け、バックスリーをこなした。
吉瀬は浮羽究真館で就任5年目の2019年には、新人戦と春季大会で県4強入りを果たした。これは同校の最高成績だ。昨秋の102回全国大会予選は8強敗退。7回目の全国優勝を果たす東福岡に6−102だった。
新チームで臨んだ新人戦(九州大会予選)と春季大会は2ブロック制だったが、どちらも4強敗退。1月は修猷館に15−17、5月は筑紫に3−33だった。
筑紫との練習試合は新チームになって3連勝中だった。最大15点差をつけた。
「私の指導力不足でした。練習試合と公式戦は全然違う。伝統の重みを感じました」
吉瀬は敗戦から学ぶ。同じ県立校として、筑紫の冬の全国大会出場は5を数える。
その負けを良薬にするためにも、この下宿はある。寮1階には厨房や食堂などとともに治療とトレーニングのスペースがある。常駐するのは柔道整復師の飯塚直人。両チームの「コンディショニング・トレーナー」である。
飯塚は都内で整骨院の院長をしていたが、この新拠点の開設に合わせて、うきは市に移住してきた。吉瀬は満足感を漂わせる。
「治療がここで完結します」
飯塚は可能な限り朝夕のチーム練習にも参加してくれている。
また、バーナード・カウキモス、通称「ベン」もいる。寮長として一緒に生活をしている。ルリーロのフィジー出身選手だ。
「空き時間に英語を教えてもらえます」
吉瀬はその利益を語る。ベンは185センチ、120キロのLO。建設会社で働いている。
ルリーロの選手の存在はありがたい。吉瀬は感謝を込める。
「選手たちは当番制で練習についてくれます。試合形式の練習は最低週1回はできます」
選手たちはおのおの生業を持っている。プロはいない。その中で時間をやりくりしてくれている。
学校も支援を惜しまない。この春、吉瀬の恩師であり、ラグビー部の部長だった石藏慶典(よしのり)が、朝倉高校定時制の教頭になって異動した。学校は同じ保健・体育教員としてラガールの後藤佳奈を採用してくれた。後藤はこの3月に福岡大を卒業したFBだ。
部内でも支援系部門が4つに増え、充実が見られる。従来はマネージャーとSNSなどを使って告知をするプロモーションの2部門だったが、選手の昼食などを準備する栄養とトレーナー部門もできた。関連部員は15人。ひとチーム分になる。総合力は上がる。
吉瀬は言う。
「秋は県予選の決勝に行かんといかんです」
この濃紺ジャージーのため、学校、社会人、地域までもが一体となって支えてくれている。まだ立ったことのないファイナルの舞台にまずは上がり、恩を少しずつ返してゆきたい。