日本の車いすラグビーと歩んだ6年の軌跡 〜車いすラグビー日本代表 ケビン・オアー前HC〜<前編>
「日本代表のヘッドコーチは、私にとって夢のような仕事(Dream Job)でした」
日本がパリ・パラリンピック出場権を獲得したアジア・オセアニア選手権(6月29日〜7月2日、東京)を最後に、日本代表ヘッドコーチ(以下、HC)を退任したケビン・オアー氏は、日本の車いすラグビーと歩んだ6年間を、穏やかな笑顔で振り返った。
「決勝では完璧な試合ができました。選手は、自分のやりたいラグビーをしっかり体現してくれて、プレーに必要なパッションも持っていました。以前、私がアメリカのクラブチームでコーチをしていたときにチーム内で築けた“バイブ”に似たものを、代表レベルのチームで実現できたことに満足しています」
1968年生まれの55歳。
車いすラグビーや車いす陸上など30年のコーチキャリアを持つオアー氏が、車いすラグビー日本代表HCに就任したのは2017年。
日本が銅メダルを獲得した2016年のリオ・パラリンピックでは、3位決定戦で日本が対戦したカナダ代表のHCを務めた。
リオ大会後、パラリンピック開催を控える日本からオファーを受けたオアー氏は、「開催国のコーチを務められるのは光栄なこと」と大役を引き受け、そうして、金メダルを目指す戦いが始まった。
就任した翌年、2018年の世界選手権で日本は史上初の世界チャンピオンに輝き、東京パラリンピックでは2大会連続の銅メダルを獲得、2022年には世界ランキング1位にまで上りつめた。付け加えると、リオ・パラリンピック以降、日本は世界レベルの主要大会すべてでメダルを獲得している。
まさに、世界も認める「強い日本」へと押し上げたのが、ケビン・オアー氏だ。
リオ大会で対戦国だった日本を、オアー氏は「パラリンピックで金メダルを獲る能力があるチーム」だと見ていたが、一方で「特定の選手の個人技、個人の能力に頼っていたプレーが多い」と冷静に分析していた。
就任後は、走力やチェアワーク(車いす操作)といった基礎を徹底的に構築し、オフェンス、ディフェンス、ゲームコントロール…と、すべてのプレーにおいて精度を高め、戦術を学び、コートのスペースを広く使いながら、障がいの重い“ローポインター”もボールハンドリングをして全員がスコアできる戦い方を追求した。目指したのは、「最初から最後までハードワークする、アグレッシブでスマート(賢い)なラグビー」だ。
あわせて、「チームの深み」となる“ラインアップ“(コート上4選手の組み合わせ)の強化にも取り組み、東京パラリンピック時と比べるとそのバリエーションと数は倍以上、それに今では、代表チーム内の紅白戦でどのラインアップが対戦しても接戦になるくらいにまで、レベルの差がなくなった。言い換えれば、どのラインアップが出ても強い、12人全員で戦える集団になったのだ。
また、WantやHopeといった「勝ちたい」ではなく、“Believe(信じる)”をスローガンにメンタルタフネスの強化にも取り組み、最後は、仲間への信頼、自分たちのプレーへの自信に基づいた「勝者のメンタル」で、昨年の世界選手権王者であるオーストラリアに11点差をつけ圧勝した。
さらに、オアー氏は車いすラグビーを通して、新たな価値観とラグビー文化を日本にもたらした。
車いすラグビーでは、障がいの程度に応じて選手は7つのクラスに分けられるが、競技規則により、例えば、障がいの比較的軽い選手たちだけがコートに入ってプレーするということができないルールになっている。どんな体格の、どんな能力を持った選手でもワンチームとなって戦えるラグビーのように、障がいの軽い・重いに関係なく、一緒にコートに立って戦うのが車いすラグビーだ。
そして、男女混合競技でもある車いすラグビーは、女性も男性も同じコートで戦う。
日本代表初の女性選手となった倉橋香衣は言う。
「プレーの楽しさや戦術もですが、オアーHCには、男女とか障がいとか経験値というものは何も関係ない、ということを教えてもらいました。私に対しても男性選手と同じように指導し、経験や障がいは関係ないとチームに言い続けてくれたことが、男女混合というこの競技の特性を生かした“チーム力”になりました」
こうして築き上げた「日本ラグビー」。
では、その強さの秘密とは何か。
それは、ほかでもなく「ファンダメンタル」を徹底的に磨き上げたところにある。
「どのスポーツにおいても、“基本”をしっかりやるチームが勝つチームです」
オアー氏は、自身のプレーが確立しているベテラン選手であっても、人を尊重してスポンジのように新しい知識として吸収していく姿勢に大きな感銘を受けたといい、そんな日本人の人間性が「私を変えた」とまで語る。
そして、代表チームだけではなく、代表選手が強化合宿で教わったことを各クラブチームに持ち帰り、“ニッポン”のラグビースタイルを日本全体に浸透させたことで、経験の浅い選手も世界ランキング1位の代表選手と同じプレーをすることを可能にした。オアー氏自身も、自ら地方に足を運び、クラブチームレベルの選手を対象にしたラグビークリニックを何度も開催して育成と普及に努めた。
日本の各地で地道にまいた種が、日本にしかできない、日本だからこそできるラグビーとして花を咲かせ、大きな大きな実を結んだ。
「今や日本は、『日本に勝てるチームになろう』と世界が目指すチームになっています。私の在任中には、残念ながらパラリンピックで金メダルを獲ることはできませんでしたが、金メダルを獲れるチームを作りあげたと自負しています。選手たちみんなが自分を信じてくれたことに感謝します」
そうして、お互いの信頼の中で「家族」のような関係が築けたことを喜び、涙をにじませた。
今後は「日本チームのファンになる」と、持ち前の明るさで語ったオアー氏。
最後に、日本のファンへ、こんなメッセージを残してくれた。
「私は皆さんを本当の友人のように思っています。皆さんはこの競技のことを理解してくれて、ラグビーに対するパッションも持っている真のスポーツファンです。このようなすばらしいファンがいるので、私には日本の明るい未来が思い浮かびます。日本人のパッション、日本人の人間性。そういったものを、車いすラグビーを通して、世界に見せてほしいと思います」