海外 2023.06.10

常に200パーセントで戦ってきた。モルガン・パラ[元フランス代表SH]が引退

[ 福本美由紀 ]
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常に200パーセントで戦ってきた。モルガン・パラ[元フランス代表SH]が引退
長くフランス代表として活躍(キャップ71)。リーダーの資質が詰まった9番だった。(Getty Images)
ラストゲームとなったラシン92戦の試合後、相手チームの選手から労われた(右がパラ)。ラシン92のTwitterより



 フランスラグビー界に大きな足跡を残した選手が、また1人現役生活に終止符を打った(6月3日・トップ14準々決勝/スタッド・フランセ 20-33 ラシン92)。

 モルガン・パラ(34歳)。若くしてカリスマ性を発揮し、フランス代表のSHとしてレジェンドが居並ぶFWを堂々と操縦した男だ。
 チームを指揮する姿から『チビの伍長』と言われた。ナポレオンを指すニックネームである。

 優れたSHとしてだけではなく、精度の高いキッカーとしても心強い存在だった。
 またラックのボールを奪いに行き、ディフェンスも厭わない。どんなに大きな相手が向かってきても素早く身を投じて穴を埋め、『9人目のFW』とも言われた。
 負けん気が強く常に200パーセントで戦う。

 試合前は対戦相手のビデオを細かく分析し緻密な準備をする。戦術を立てるのが好き。勝負が好きなのだ。

 2006年に当時トップ14でプレーしていたブルゴワン・ジャイユーでパラがデビューしたのはまだ18歳の頃だった。
 約3か月後のシックスネーションズで代表デビューを果たし、フランスラグビー界を背負う新しい世代を代表するプレーヤーとなる。

 2009年に強豪クラブであるクレルモンに移籍し、パラの才能はさらに大きく開花する。
 2010年、2017年と2度フランス国内チャンピオンに輝く。クレルモンで共にプレーした松島幸太郎はパラのことを、「絶対的な存在。チームが悪い時、毎日円陣で気持ちや態度の問題で、何が良くて何が悪いのかをみんなにしっかり伝えている」と話していた。

 その間、フランス代表では2010年にシックスネーションズで全勝優勝を果たし、2011年のワールドカップNZ大会では、3戦目からは10番を背中につけてプレーして決勝戦まで上り詰めた。
 しかし、その後は負傷が相次ぎ、代表でのキャリアは思うようには続かなかったが、それでもキャップ数は71に達した。

 引退を考え始めたのは、来季からスタッド・フランセの共同ヘッドコーチに就任予定のカリム・ゲザル(現フランス代表FWコーチ)とロラン・ラビット(現フランス代表ATコーチ)から「将来、コーチをやってみる気はないか?」と打診されたことからだった。

「今季、スタッド・フランセに移籍して新しいことを経験していた。とても自分にはプラスになっていた。でもシーズン序盤に膝を、しばらくしてから手をケガした。年齢を重ねるごとに試合も練習も難しくなる。精神的にもすり減ってくる。ラグビーが大好きだから一生でもプレーしたいところだけれど、問題は、『いつまでそのレベルでいられるのか?果たして今もそのレベルなのか?』ということ」

 周囲の選手との世代のギャップも感じるようになっていた。
「とてもいい仲間に囲まれているけど、クレルモンでカミーユ・ロペスやウェスレー・フォファナたちとの関係で得られた充足感とは違う」

 引退を決断するまでに、そう多くの時間は必要なかった。
「もともと2022年にクレルモンとの契約が終わるタイミングで引退するつもりだったし、今年でなければ来年引退していただろう。ひどいシーズンを過ごし、ラグビーを楽しめないようなトゥーマッチな1年は過ごしたくなかった。自分に『ストップ!』と言うことも必要」

 17年のキャリアを振り返って思うことは?
「自分の情熱を生き、強い感動をもらうことができた。多くの子どもが夢見るけど、ほんの一握りの人間しか到達することができないところに到達できて自分はラッキーだった。良い時もあれば、もちろん苦しい時もあったけど、悔いはない」

 試合が始まって23分で負傷退場を余儀なくされた2011年W杯のファイナル。7-8でNZに敗れたその一戦については、「後悔ではなく落胆」と言う。
「いまでも、あの試合のことを考えてしまう。『もしここでタイトルを掲げることができていたなら、どんなに素晴らしかっただろう…』と」

 心に残る敗戦はそれだけではない。
「2013年のチャンピオンズカップの決勝も(トゥーロンに15-16で敗れる)そのひとつ。これらの敗戦があったから、選手として、人間として成長できた」

 現役最後の試合のあと、向けられたテレビのマイクに答えた。
「なんだか変な感じ。今までずっとしてきたことなのに(もう最後だなんて)。毎週末、自分の情熱に生き、大いに楽しむことができて僕はとても恵まれてきた。これ以上素晴らしい職業はない」

 この夏からはスタッド・フランセでコーチとしての人生が始まる。
 まったく新しい経験ではない。クレルモンでプレーしていた時に、地域のアマチュアチームのコーチをしていた。
「この役割は今までも好きだった。コーチという仕事は意見交換して分かち合うこと。絶対にコーチになりたいと思っていたわけではないけど、常に頭の片隅にはあった。自分の経験を伝え、僕自身も学んでいきたい。これまでと同様、とことん取り組みたい」と言う。

 またひとり、この世代を代表する選手がブーツを脱いだ。
 世代が移り変わっていく。


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