熊本、ウェリントン、上井草。早大2年・仲山倫平、躍動までの足跡。
仲山倫平の実家には、ずっと楕円球があった。
父の延男さんがラグビーの指導者だったから、記憶のないうちからグラウンドに出ていた気がする。
昔の写真を見ると、2歳の頃には所属したグリーンベルトラグビースクールのグラウンドにいたのがわかる。
進学先の玉名中では、2年生まで父が監督をしていた。
帰宅後もプレーのフィードバックをもらえる利点と、学校でも自宅でもチームのことで叱られる難点があったと、時間を経て懐かしげに笑う。
早大の2年生となったいまも、地元の熊本に帰るとエネルギーをもらう。
「応援してくれる人がいるのが、原動力になっている。だからこそ、ラグビーも楽しめています」
衝撃を受けたのは2015年9月だ。関東地区で開催の全国大会へ出るや、そのまま成田空港へ直行した。ワールドカップのイングランド大会を観に出かけた。
その大会で日本代表が唯一、敗れたスコットランド代表戦と、ニュージーランド代表対ナミビア代表戦に現地で触れた。
海外旅行は初めてだった。
見たもの、聞いたもの、感じたものすべてに刺激を受けた。
「道行く人々の肌の色が違う。聞こえてくる言語も、英語だけではないという感じがあった。普段は熊本弁をしゃべる人しか周りにいなかったので、インパクトは大きかったです。
たった4日間の滞在で、自分の道筋が定まったように思えた。帰りの機内で言った。
「僕、留学する!」
聞いた父は面食らった様子だったが、しばらく間をおいて「英語が喋れるようになったら、考えてもいい」と前向きに検討してもらえた。
手始めに、ニュージーランドはウェリントンでの短期留学を叶えてくれた。父の知人の伝手をたどって、当地に人脈のある竹内克氏(現・浦安D-ロックスアシスタントコーチ)に道筋をつけてもらったのだ。
海外での長期滞在が始まったのは2018年2月。現地のウェリントンカレッジへ入学した。過去には日本代表の具智元も在籍のこのクラブでは、アジアの少年がなじみやすかった。
「他にも何人か、日本人がいました。留学生だからといって無視されたり、パスが回ってこなかったりといったこともない。ウェルカムな雰囲気で、逆によくしてもらいました」
チームでは週に2度の全体練習があるのみで、それ以外の日は自主的にトレーニングをするか、休むかを各自が考える。強くなれるか、うまくなれるかはその人の心がけ次第だ。
当初は「堕落してしまった」という仲山が気を引き締めたのは、入学して3か月が経ってからだ。
盲腸で入院したのを機に、自分を見つめ直したのだ。
「スケジュール管理をして、自分を律する力は、育まれたと思っています」
フィールドでは「プレーを継続させる。ボールを殺さない」という文化になじみ、多彩なオフロードパスを身に付けた。おもにセカンドフィフティーンで司令塔のSOを務め、最終学年時はそのグレードで主将を任された。
挫折もした。2020年12月の卒業までファーストフィフティーンには定着しきれず、もともと「ニュージーランドから帰ったら早稲田!」と憧れていた早大にも、現役では入れなかった。国際教養学部を志望も、書類審査で不合格となったのだ。ウイルス禍により「出入国に制限があったため、国内での一般入試受験は断念した。
法学部の帰国生入試をパスし、入部の資格を得たのは2022年のことだ。ここでも1季目はAチームに加われなかったが、多くを学べた。
大田尾竜彦監督、田邊秀樹コーチに「ボールをもらう前の仕掛け」が肝だと教わった。
近くの味方が前進したとする。そこでやみくもに併走するのではなく、いったん、防御と間合いを取り、折を見てスペースへ加速する。相手の虚を突きながら球をもらい、ラインブレイクを決める。
「もともとスペースに仕掛けるのが得意です。それが早大に入ってより強化されたかなと思います」
何より、主力格の先輩に感銘を受けた。
「常に100パーセント。自分が出せる目一杯を、練習から当たり前に出す」
本拠地の上井草グラウンドでは、特に当時3年の岡﨑颯馬、永嶋仁が日々、全力投球。それぞれに必要なウォーミングアップを黙々とおこない、全体トレーニングが始まれば情熱を込めて戦っていた。仲山は言う。
「一緒に練習していても、(違うグループで活動するため)ウェイト場にいても、その2人の声が一番、聞こえてきます」
今シーズン最初の公式大会に、仲山の姿があった。
4月9日に東京・秩父宮ラグビー場であった東日本大学セブンズに参加し、ウェリントンカレッジ、上井草で磨いてきた強みを発揮。コンソレーションカップ準優勝と、一定の結果を残した。
コーチたちからあらかじめ出場の可能性を伝えられていたのを受け、ジムのバイクをこぎ続けてよかった。
これからの目標は明確だ。「赤黒」と呼ばれるファーストジャージィを着ることだ。SOのほか、最後尾のFBでスタンバイする。
そのためにも現在178センチ、77キロの身体をより大きくして、圧力下でのスキルを磨くつもりだ。伊藤大祐主将が唱える「WASEDA FIRST」というスローガンを踏まえ、こうも宣言する。
「一番、最初のプレーの精度にこだわる。そこを、やりきる」
今度のシーズンオフは、熊本によい知らせを持ち帰りたい。