コラム 2023.03.07

【ラグリパWest】終わらせない。 周南公立大学 [旧・徳山大学]

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】終わらせない。 周南公立大学 [旧・徳山大学]
大学名は徳山から周南公立に変わったが、その流れの中、ラグビーの灯を消さないため、奔走する山田洋一監督。日々の練習で使う陸上競技場で。山田監督は地元の新南陽高校から日体大に進んだ。現役時代はフロントローだった



 徳山大学は周南公立大学に変わった。私大から文字通り公立になる。

 学校は山口県の東寄り、周南市の丘の上に建つ。青い瀬戸内海を見下ろす。愛称「とくだい」の時代、ラグビー部は中四国を代表する強豪だった。

 この近くにはまた、社会人の日新製鋼があった。西日本社会人リーグでは優勝7回。2位タイの記録を作った。CTBには同志社から進んだ小松節夫がいた。天理大の現監督である。ラグビーが盛んな土地柄だった。

 周南公立に変わったのは昨年4月。最寄りの徳山駅の新幹線改札を出て、左に歩けば、新大学を紹介するブースがある。

 公立化で希望がみなぎるのとは裏腹に、ラグビーは危機に瀕している。部員数10。来月、新入学する経験者1人を含んでの数字だ。現状では15人制に出られない。専用寮は部員減と老朽化で今月中に閉鎖される。

 監督の山田洋一は悲壮感を漂わす。
「自分の代でラグビーを終わらせるわけにはいきません」
 山田は来月で56歳になる。出身は日体大。3年時、大学選手権で準優勝を経験した。26回大会(1989年度)は早稲田に14−45。群青ジャージーが強い時代を生きた。

 山田が職員としてもつとめる周南公立の学部は2つ。経済と福祉情報。そもそも、少子化などによる経営難があった。
「1学年は280人ほどです。男女比も以前は8対2でしたが、今は6対4です」
 地元では廃止の声もあがった。しかし、4年前、市長選に出た藤井律子が公立化を掲げ、当選した。

 潰すことは簡単。誰にでもできる。歴史に敬意を表し、残すことは知恵と熱量がいる。ただ、そのためラグビーも犠牲を強いられる。
「この2年間、スポーツ推薦はありませんでした」
 公立への移行に伴う措置だった。授業料などを免除する特待生制度もすでにない。競技経験者の足は自然、遠のいてゆく。

 ただ、光明がないわけではない。3つ目の学部、人間健康(仮称)の設置構想がある。じき、文科省に認可を申請する。
「認可されれば、2学部3学科から3学部5学科になります」
 人間健康の学科にはスポーツが含まれ、保健・体育の教員免許も取得できる。スポーツ推薦復活も議論の俎上(そじょう)に上る。

 山田が守ろうとするラグビー部の創部は開学と同じ1971年(昭和46)。初代監督は佐藤正春。早稲田OBだった。墨がはげ落ちた寮の看板には「ラグビー蹴球部」の文字が見て取れる。早稲田と同じ部名だ。

 チームは22年前、38回目の大学選手権の第5代表決定戦に進んだ。東海・北陸代表の中京を27−14で降す。京産大には0−90と大差をつけられたが、最後に全国舞台にもっとも近づいた年だった。山田の監督就任はそれから3年後である。

 中国地区のチームが大学選手権に出るためには、まずリーグ戦を制し、そのあと、四国地区、続いて東海・北陸地区と決定戦を行い、本大会出場となる。

 今、中四国の盟主はIPU(環太平洋)にとって代わられた。大学創設と創部は同じ2007年。3年後、中四国地区代表になる。この年を含め決定戦には7連勝。先ごろ、59回目の大学選手権では中四国代表として初めての出場を勝ち取った。初戦の2回戦で福岡工大に25−31で敗れるも、強化を続けている。

 一方、周南公立はこの校名で初めて出た昨年のリーグ戦は3戦全敗。初めて最下位に落ちた。IPUはおろか、広島、岡山の2つの国立大にも敗れた。スコアはそれぞれ5−134、10−87、8−26。ケガ人が出て、学内で助っ人を募った試合もあった。

 弱体化の中、山田は少しでもラグビー部への支援を得るため、部員たちのボランティア活動を推し進めてきた。
「スローガンは、地域に貢献し、愛されるチーム、です」
 海底清掃を手伝う。ダイバーが潜り、船に引き上げたゴミを陸揚げする。自治会の掃除に参加したり、4年前のW杯時はパブリック・ビューイングも手伝った。

 日々の練習で使う天然芝グラウンドは高校の選抜チームや子供の大会に、教室は県のレフリー講習などに貸し出す。地域のラグビーの普及・発展に貢献している。ただ、残念ながら今のところそれらは直接、勝利に結びつかない。

 山田がチームを存続させようとするのは、この地が故郷でもあるからだ。高校は新南陽。入学後に競技を始めた。教員を目指し、一浪して日体大に入る。フロントローだった。
「紅白戦でハンドオフを受けて、崩れ落ちたことがあります。グーパンチでした」
 この大学に限らず、荒い時代だった。それでも辞めなかった。打たれ強さはある。

「日体大に入ってよかったことは人のつながりができたことです」
 松本哲治、木村季由(ひでゆき)、吉田浩二の名前が挙がる。健志台の先輩たちは同じ大学の指導者になった。松本は大阪産業、木村は東海、吉田は山梨学院。きつい時代を共に過ごした仲間がいることは支えになる。

 これから、新入生に積極的に声をかけ、まずは最低でも5人に入部してもらいたい。そうすれば15人制の試合に臨める。その上で、山田はチーム目標を口にする。
「もう一度、中四国の2位になることです。そうすれば地区対抗に出られます。学生に正月までラグビーをやらせてあげたい」
 大学地区対抗の出場は14回。優勝2回、準優勝3回の成績が残っている。

 この2023年で創部して53年目になる。半世紀を超えてもチームは依然として存在している。OBたちもいる。濃紺をベースにしたジャージーをもう一度輝かせる難しさはあるが、やらない訳にはいかない。今こそラグビーの敢闘精神を発揮する時である。

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