「プライドないのか」。浦安D-Rocksの飯沼蓮主将、リーグワン初年度の違和感を払拭へ。
自分たちにはこれが必要だったのだ。
今季発足した浦安D-Rocksの飯沼蓮主将は、苦笑いを浮かべつつそう認める。
初代ヘッドコーチとなったヨハン・アッカーマンの方針で、プレシーズンを始動させるや一日3部練習は当たり前の日々。朝7時半頃にミーティングをおこなうや、その日最初のトレーニングでひたすらに走る。
その際、フィットネステストをおこない、誰かが膝に手をつけようものなら、指揮官が「それは勝つアティチュードではない」と追加の走り込みを課す。
昼食をはさんでスキルセッション、ポジション別の練習をして一日を終え、また次の朝を迎える。
トレーニング中の給水タイム。ボトルのある場所へはダッシュで集まる。ひとりでも歩く選手がいたら、視線の先のゴールポストまで皆で走り、戻ってくるよう命じられる。肝は新卒の若手も大物外国人も、一律で課されることだ。
個々の対応力を養うためか、一日ごとの練習メニューが事前に知らされないのも特徴的。「最初は『このあと、何個、練習があるんだろう』と、メンタルは鍛えられたと思っています」と、飯沼は振り返る。
いったいなぜ、皆がハードなセッションと向き合っているのか。
そう問われると、昨季の経緯を振り返る。
前身のNTTコミュニケーションズシャイニングアークス東京ベイ浦安は、リーグワン上部のディビジョン1から降格。再編されたD-Rocksは、中位層のディビジョン2での再出発を余儀なくされていた。
スコットランド代表76キャップのグレイグ・レイドロー、オーストラリア代表73キャップのイズラエル・フォラウといった世界的スターを有しながら、失意のシーズンを送った。
出身の明大でも主将を務めた飯沼は、リーグワン出場解禁明け直後となる4月9日の第12節にデビューを果たしている。大学を卒業して間もないなか、レギュラー格のSHとして下部との入替戦を含めて計7戦に出られた。
もっとも、加入以前から続く空気に違和感を覚えてもいた。
「雰囲気はよかったんですけど、練習中もミスが多かったし、それに対して誰も何も言わない」
「すんなり負ける。プライドないのかな…と」
山梨の日川高を経て入った明大では、田中澄憲前監督(現・東京サントリーサンゴリアス監督)の薫陶を受けている。短時間ながらタフなトレーニングで緊張感を保ち、グラウンドへ落ちたごみはすぐに拾う。神が細部に宿ると信じていた。
だから「前のチームを悪く言うのはアレですが」と前置きをしつつ、「いくらいい選手を揃えても、そういうところがないと勝てない」。ここでの「そういうところ」は、集団として試練を乗り越える体験を指す。
いまは改めて、猛練習と向き合う仲間の「態度」に胸を張る。
「(厳しい練習への)反感というか、マイナスな発言が全然、出なくて、皆で助け合えていた。それはきっと、去年、悔しい思いをしているからだと思います。全員が切り替えて、絶対に見返してやるぞという気持ちがあった」
チームを率いるアッカーマンは、昨季までの2シーズン、NTTドコモレッドハリケーンズ大阪を束ねていた。レッドハリケーンズでの就任初年度は、ずっと昇降格を争っていた当時のトップリーグで史上初の8強入りを果たしている。
その頃はニュージーランド代表経験者のTJ・ペレナラが活躍したが、試合結果がよくなった要因には指揮官の観察眼を挙げる声が多い。
社内事情のために規模を変えたレッドハリケーンズは、最下層のディビジョン3から再出発。アッカーマンら首脳陣と一部のレッドハリケーンズ勢は、旧シャイニングアークスの本拠地にあるD-Rocksへ「異動」した。
文化の融合が請われる船出は簡単ではなかったが、新しい顔ぶれで試練を乗り越えたと飯沼は言い切る。
「いまは、本当のひとつのチームです。信頼し合える仲になっている。誰かのために身体を張ろうと思えるチームになっている」
練習試合ではオーストラリアのウェスタン・フォース、リーグワン初年度3位のクボタスピアーズ船橋・東京ベイから白星を得ている。
自信を深めて開幕を見据えるなか、ふと思い返すのは全てが始まる前のひとこまだ。
アッカーマンの指導を知るレッドハリケーンズ勢は、本格的なトレーニングが始まるのに先んじで浦安で汗を流していた。
「(あらかじめ)走っとかないと、やばいから」
その言葉が間違いでなかったと、飯沼は間もなく知ることとなった。
「ただ人間って怖いもので、(過酷な状況にも)慣れちゃうんです」
D-Rocksには優れた選手が揃う。シャイニングアークス時代に総工費60億円をかけて作った、広大な練習場がある。D-Rocksはいま、埋めるべきピースを埋めつつある。
加盟するディビジョン2の初戦は17日。D-Rocksは鈴鹿へ出向き、三重ホンダヒートとぶつかる。