【コラム】明日なき者に明日はくる
近刊の『女子サッカー140年史』(スザンヌ・ラック著、実川元子訳、白水社)を読んでいたら、米国の腕利きコーチのこんな発言が見つかり、日本の学生ラグビーのあり方に思考は飛んで、つい小膝を打つ感じになった。
「アメリカの大学では多くの選手たちが、勝敗のプレッシャーにさらされます。アメリカの選手たちがほかの国の選手たちと異なるのは、勝利のメンタリティーをたたきこまれている点です」
興味深いのは比較対象である。サッカーの発展途上国にあらず。イングランドの「マンチェスター・シティ、アーセナルやチェルシーの女子チーム」のごとき「欧州の一流クラブ」に入団した者なのだ。
「十七歳から十九歳」でトップ級の集団に招かれれば「ポゼッションの能力やプレーのスピードは向上するし、戦術面も磨かれていく。でも彼女たちが試合の勝ち負けに責任をとることはない」。育成期間と母校の代表の違いだろうか。
乱暴を承知で結びつけると、大学ラグビーの魅力もそこにある。すなわち目の前の勝負に全力を傾ける。原則4年という限りがあるので喜怒哀楽のような感情は凝縮される。
プロやそれに準ずるクラブよりも、すそ野の広い分、多くの人間に「あとのない公式ゲーム」の場は与えられ、スキルや体力や戦術の総体に収まらぬ「勝負という競技」を体験、のちの糧とできる。
先日。中央大学と専修大学の入れ替え戦出場をかけた関東リーグ戦2部の大一番を観戦した。あれは中央の卒業生だろうか、どこかの社会人でプレーするらしい青年がつぶやくのを聞いた。
「やっぱり大学ラグビーはいいなあ」
眼前では、やがて劇的フィナーレを迎える攻防が展開されている。「8点差をつけて勝てば」中央、そうでなければ専修が2位を確保する。残り約10分、スクラムやタックルに気迫をたぎらせる前者が24―3でリード。ところがラックのあたりをスルスルと後者が抜けてGも決めた。たちまち緊迫が襲う。さっきの「24―3」とは「8点ファクター」を考慮すると実は「13―0」であり、これで「13―7」。そして「13―14(実際のスコアは24―17)」という結末へ。