コラム 2022.11.29

【ラグリパWest】ラインを統率する者。森田倫太朗 [報徳学園高校/CTB]

[ 鎮 勝也 ]
【キーワード】, ,
【ラグリパWest】ラインを統率する者。森田倫太朗 [報徳学園高校/CTB]
才能ある報徳学園のBKラインを支えるCTB森田倫太朗。人を生かすプレーとタックルが持ち味。後ろはSO伊藤利江人。報徳学園は史上4校目の高校3冠を狙う。その102回目の全国大会は12月27日に開幕する。(撮影:木下友紀子)



「リエトもコハクも勝手。スミカマはバテる。頼りになるのはリンタロー」

 木下友紀子は笑っている。

 報徳学園のラグビー部顧問は、ジョークあふれる関西人。ラガール出身であり、関西学院大のOGでもある。目は肥えている。

 冗談をそぎ取るとこうなる。
<SO伊藤利江人もWTB海老澤琥珀も天才。常人にはついていけない閃きがある。CTB炭竈柚斗はひたむき。出し切ってしまう>

 では、この高校3冠を狙うラインを仕切るのはもう一人のCTB、森田倫太朗なのか。BKは伊藤ら3人を含め、5人の高校日本代表候補で構成されている。

「なんといっても、リンタローは私と誕生日が同じ。8月14日生まれでーす」

 そこかいっ! 最大のポイントは!

 なーんちゃって。実際、森田は監督の西條裕朗からの信任も厚い。
「視野が広いし、プレーにそつがありません」
 森田の負傷退場が危機を招いたこともあった。11月12日、全国大会の兵庫県予選は関西学院に21−17と苦戦する。

 森田が退場した3分後、後半15分、逆の位置にいたWTBのライン参加でトライを奪われた。14−10と追い上げられる。
「森田がいてくれたら、見てくれている。穴をふさぎに行ってくれたはずです」
 森田の肩書は国体のオール兵庫。チーム内評価は高校日本代表候補レベルである。

「中学のころはSOをやっていて、とにかく前を見るクセをつけるようにしました。アタックならまず相手を見て、スペースがあるかどうかを確認します。こちらの人数配置も頭に入れて、ボールを動かします」

 森田は視野の広げ方をそう話した。クセをものにしてしまえば楽だ。プレーの決め打ちはしない。相手あってのことをこの18歳は分かっている。

 伊藤や海老澤ら決定力のある選手へのつなぎ役もいとわない。
「周りを生かすプレーを心がけています。リエトがやりたいことをやったら、抜けることが多いですから」
 彼我の分析できている。

 下半身への激しいタックルも森田の長所だ。試合ではカメラも担当する木下は話す。
「リンタローの写真を探したら、タックルに行っているものしかありませんでした」
 小柄なのにコンタクトも強い。

 身長は171センチ、体重は75キロ。レギュラーになった昨年の全国大会パンフレットに記されている。
 もう少し小さくない?
「そうかもしれません」
 森田の目はさらに細くなった。

 その体でも評価してくれる大学に進む。早稲田。スポーツ科学部のAO入試に合格した。
「ラグビーを見ていて、自分に合うかな、と思いました」
 推薦入試がない古い時代、体格や技術に劣った人間が猛練習を重ねた。それを伝統として今に続く。大学選手権優勝は最多の16回。森田にとっては間違いないチームだ。

 入部すれば、ラグビー部からは峨家直也(がけ・なおや)以来8年ぶり。峨家はHOでレギュラーだった。名高いOBでは半世紀ほど前に活躍した大東和美や植山信幸がいる。日本代表キャップは6と20。大東はHOで、住友金属に入社。のちにJリーグのチェアマンにもなる。植山はFBだった。

 同志社には森田の兄がいる。琉太郎。石見智翠館から指定校推薦で入学した。2年生WTBである。兄弟は4人。すぐ下の藍太郎(らんたろう)は中3。兄2人とは別の高校でラグビーを続ける予定だ。一番下は中1の祥太朗である。一、三番が「郎」。二、四番は「朗」。違いは字画に関係するようである。

 森田が競技を始めたのは小2。大阪の豊中ラグビースクールだった。
「仲の良い友達に誘われました。ボールを持って自由に走れることが楽しかったです」
 小学校の6年間はサッカーと水泳もやった。生来の運動神経のよさが磨かれる。

 中学時代には府のスクール選抜に選ばれた。
「高校は兄のいる智翠館と迷いましたが、入学するメンバーで決めました」
 スクール選抜で仲のよかった竹之下仁吾や伊藤や海老澤も東京から来ることを聞いていた。竹之下はこのラインでFBに入る。

「報徳は自由です。自分たちで考えてラグビーができます。同級生はクセが強く、みんな色々考えを持っているけど、話し合いながらラグビーを創り上げることが楽しいです」

 その集大成である102回目の全国大会は12月27日、東大阪市花園ラグビー場で開幕する。報徳学園は東福岡とともに2校のAシードに選ばれた。59回大会(1979年度)でシード制が導入されて以来、Aシード入りは2回目である。

 前回は現コーチの泉光太郎がロックで出ていた73回大会。この時は3回戦で準優勝するノーシードの東農大二に18-25で敗れている。今回は春の選抜大会、夏の7人制大会の2冠が評価された。森田は言う。

「春夏に優勝させてもらったけど、花園で優勝することが一番の目標です。そこに向けてもう一段階、レベルアップしたいです」

 報徳学園の創部は1952年(昭和27)。今年は70周年にあたる。これまでの最高位は4強進出。77回大会(1997年度)だった。5回目優勝をする國學院久我山に17−39で敗れた。

 史上最強と呼ばれるチームで大優勝旗「飛球の大旗」を初めて手にしたい。高校3冠を達成すれば、東福岡、東海大仰星、桐蔭学園に続き4校目となる。
 進路も決まった森田は、これからはさらに仲間を生かし、頂点に立つことに集中する。


PICK UP