国内 2022.11.12

出られない日々があったから。泉谷尚輝[SO/関西学院大]の分岐点。

[ 明石尚之 ]
【キーワード】,
出られない日々があったから。泉谷尚輝[SO/関西学院大]の分岐点。
積極的なタックルでも目を引いた。「流れを変えられるのでタックルは好きです」(写真は近大戦/撮影:平本芳臣)

 勝負の一戦の直前まで、関西学院大の泉谷尚輝は教壇に立っていた。

 10月30日。負ければ大学選手権出場が絶望的となる同志社大戦で、司令塔を任される。
 前半だけで26点ものリードを奪われる展開も、ロスタイムで逆転する劇的な勝利に貢献した。

 泉谷は教育学部の初等教育学コースに学ぶ3年生だ。試合の2日前まで、地元・奈良県の桜井南小学校で3週間の教育実習をおこなっていた。
 その間は土日だけ兵庫に戻り、チームの練習に参加。平日はジムや公園に通って、体力と筋力の維持に努めた。

「実戦形式の練習ができなかったので、モチベーションを維持するのは難しかったです。でも(メンバーに)選んでもらえる環境があるなら、そこに向けて頑張ろうと」

 小樋山樹監督は早い段階で、同志社大戦での泉谷の起用を決め、泉谷はそれに応えた。「前半はあまり調子が良くなくて焦ってしまった」と話すも、「後半は自分のキックを改善して挽回しよう」と気持ちを切り替えた。

 後半は本来の持ち味であるキックでエリアを進め、同志社大を自陣に閉じ込める。そこで仲間たちが好ディフェンスを披露し、スコアにつなげた。
「みんなが良いポジションに立ってくれたおかげで、相手が面を揃えないといけなくなり、前に上がってきたところで後ろが空いた。良いキックにつながりました」

 チームとしても自信につながる勝利だった。
「勝ち切れたのは、後半にチームが積み重ねてきたことを出せたからだと思います。しっかり守れば相手もミスしてくれる。後半最初の(CTB松本壮馬の)インターセプトで、勢いに乗れました。我慢すればいけるぞと」

 4歳から始まったラグビー人生。東海大仰星、関西学院大と強豪校を渡り歩くも、第一線で活躍できた選手では決してなかった。
 今季も夏合宿はC、DチームのいるBスコッドで活動した。それから秋の関西リーグ開幕戦で先発の座を掴み、チームの信頼を勝ち取るまでには、いくつもの試練があった。

 ラグビーは、いまも日体大で競技を続ける東あかりに誘われ、桜井少年ラグビースクールで始めた。河合二中から仰星に進んだのは、その進路を初めて切り開いた和田悠一郎(現トヨタV)の存在も大きかった。
「悠一郎さんからはいろんなことを教わりましたし、尊敬していました。それで見学に行ったとき、仰星の一体感に惹かれて。(グラウンド)半面で100何十人全員で一緒に練習することも、僕はポジティブに捉えられました。こんなに熱いチームがあるのかと」

 入学してからは高い壁に阻まれ続けた。同級生には現在、東海大で活躍するSO武藤ゆらぎやFB谷口宜顕らタレントが揃っていた。特に1年時から先発機会を掴んでいた同じポジションの谷口は、いつまでも遠い存在だった。
「全然超えられなかったけど、そこで負けたくないと、積み重ねてきたことが今に生きています。宜顕には本当に感謝していますし、大学選手権で絶対に戦いたい相手です」

 3年時には花園の登録メンバーにも入れなかった苦い過去もある。それでも、「めちゃくちゃ泣いた」という経験を、これからの原動力へと変えた。「あそこで出場できていたら、いまの自分はいない」と言い切る。

「このまま絶対に終わりたくないと思ったし、花園ではサポート側に回ったことで支えてくれる人の気持ちもよく分かりました。自分もいろんな人たちに支えられて、いまがあります。その人たちに、活躍する姿やチームに貢献する姿を見せたいです」

 仰星では、将来の目標とする恩師にも出会えた。昨年度の花園で同校を6度目の日本一に導いた湯浅大智監督だ。
 泉谷は社会人でもラグビーを続けることを目標にし、引退後は教員になる将来像を描いている。
「教科を教えるだけではなくて、人としてどうあるべきか、人間性のところを一番教わりました。湯浅先生のように愛情を持って子どもたちと接して、子どもたちが自分で道を切り開ける力をつけられるような先生になりたいです」

 3年時は「ライフリーダー」と呼ばれる、部員の日常生活を指導する役職に就き、湯浅監督から多くを学んだ。
「ラグビーだけできても意味がないですし、日常生活で一流になれなければ、応援される人間にはなれないと」
 その姿勢はインタビューを終えた直後にも垣間見られた。地面に落ちていた紙くずを拾い、上着のポケットにしまっていた。

 人間力を磨いてきた好青年はしかし、関西学院大でもなかなか芽が出なかった。弱点のフィジカルを克服できずにいたのだ。
 変わるきっかけは昨季、初出場、初先発を飾った京産大戦にあった。

「タックルされた時に、フィジカルがなかったのでそのまま頭を打ってしまい、脳震盪で退場しました。まだ前半20分でした(正確には28分)。身体を作らない限り、ここでは勝負できないと」

 これまでも、体重アップには取り組んできた。しかし、いくら食事を摂っても増量できない。いつしか「逃げていた」。
「でもあんなやられ方をして、向き合わなければいけないと。試合に出る以上、そこの責任を果たさないと、みんなから認められないと思いました」

 試合を終えた数日後、母から誕生日プレゼントが届いた。自動で体重を記録し、グラフ化するアプリと連携した、高機能の体重計だった。
 それから、毎日体重計に乗ってはグラフを眺め、自らと格闘した。
「京産戦のときは74㌔くらいでした。いまは絶対に80を下回らないように意識しています」

 その努力は今季、小樋山監督の信頼を勝ち取る。指揮官は夏前にFBからコンバートした急造の司令塔を、高く評価した。
「大学入学からずっとですが、素直で明るくて本当に努力家です。ただフィジカル面で大学レベルではなかなか厳しかった。ですが、今年になり、そこ(への努力)が実り出した。チームとしても今年は敵陣でゲームをするプランがあるので、彼の武器であるロングキックはマッチしました」

 関西学院大は第4節を終え2勝2敗。優勝を争う天理大と京産大に敗れた。しかし、関西に3枠与えられた大学選手権出場は、射程圏内にある。
 11月13日には2勝2敗で並ぶ、立命館大との大一番が待っている。泉谷は果たして、背番号10を背負う。
「負けたら終わりの勝負なので、絶対に勝ちにいく。その覚悟だけを持ちたいと思います」

 ようやく掴んだ活躍の場。緊迫するゲームを思い切り楽しみたい。

PICK UP