海外 2022.09.09

「ラシン92が僕の家族」。ヴィリミ・ヴァカタワの足跡とチーム愛。

[ 福本美由紀 ]
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「ラシン92が僕の家族」。ヴィリミ・ヴァカタワの足跡とチーム愛。
ファン、仲間に愛された男。今後もラシン92とともに歩む。(Getty Images)



 フランス代表CTBヴィリミ・ヴァカタワ(30歳)の現役引退が報道された。
 2019年ワールドカップ日本大会前に心臓の異常が発覚していた。その時点ではプレーを継続することに支障はなかったものの、経過観察の対象になっていた。

 今季開幕前のメディカルチェックに加えてさらに精密な検査をしたところ、病気が進行していることがわかった。これ以上強度の強いスポーツを続けることは危険と、トップ14の運営団体であるLNRのメディカル委員会に判断された。

 所属クラブであるラシン92から発表されたのは9月5日、月曜日。現地時間の午後3時だった。
 ヴァカタワはその2日前に行われたトップ14のカストルとの開幕戦にはスーツ姿でベンチのチームメートたちと並んで姿を見せていた。
 翌週のバイヨンヌ戦から復帰する予定だったと言う。

「一番辛かったのは(検査結果を)待っていた期間。そしてヴィリミ(ヴァカタワ)に告げ、チームに報告しなければならなかった時だった。彼はラシン92だけではなく、フランスラグビーにとって重要な存在だから」とラシン92のロラン・トラヴェール ヘッドコーチ(以下、HC)は言う。

「ヴィリミはこのクラブの子どもだ。息子を失ったようだ。そして選手たちは友人を失った」とラシン92のジャッキー・ロレンゼッティ会長は悲しみを隠せない。

 ヴァカタワは2010年にラシン92にやって来た。
 まだ18歳になっていなかった。フィジーの人口100人に満たないナルワイという小さな村で育ち、村のラグビースクールでラグビーを始めた。

 ある日学校から帰ってくると、とある人物から電話がかかってきた。NTTドコモレッドハリケーンズでもプレーしたことがあるWTBシレリ・ボンボだった。
 ボンボは当時、ラシン92でプレーしていた。当時ラシン92では、若手選手の育成システムの立て直しを始めていた。当時のHC、ピエール・ベルビジエから「フィジーにいい若い選手はいないか?」と相談を受けたのだ。

 その頃、ヴァカタワは高校の13人制のチームでプレーしており、現地紙が彼の活躍を報じていた。その記事を見ていたボンボは「この世代で一番いい選手はヴァカタワだ」と答えた。

「数か月フランスに来る気はないか?」とボンボに問われ、ヴァカタワは「OK」と即答した。半年後にはフィジーに帰ってくると思っていたから母親以外の誰にも言わなかった。

 パリに着いた頃は、当時のラシン92のFWコーチだったサイモン・ライワルイの家にしばらく住んでいた。同じ頃、ラシン92に加入したLOベルナール・ルルーとフランス語を学ぶために地元の小学校に週2回通った。「子どもたちは僕たちの国や経歴、ラグビーに興味津々だった。とてもいい思い出だ」と振り返る。

 しかし、エスポワール(アカデミー)の7人制大会で脚を骨折、その後感染症を引き起こしてしまう。「もうラシン92は契約してくれないだろう。夢は終わってしまった」と思ったが、無事にエスポワール契約を獲得した。

 またパリに着いた頃のヴァカタワはガリガリだった。「今より10キロは軽かった」と当時のベルビジエHCは言う。
 ケガでラグビーができない間、ウエートトレーニングに励み、1年目で5〜6キロ増量した。

 当時のラシン92のBKは、南アフリカ代表フランソワ・ステイン、元アルゼンチン代表フアン=マルティン・エルナンデス、元ウエールズ代表ジェイミー・ロバーツと錚々たる顔ぶれで、なかなかヴァカタワにチャンスが巡ってこない。プレー時間がほしかった。
 そんな時に7人制フランス代表チームから声がかかった。2014年3月、東京セブンズで7人制代表デビューを果たし、瞬く間に7人制ワールドシリーズのスタープレーヤーになり、2016年のリオオリンピックに出場した。

 2016年のシックネーションズで15人制代表デビューも果たした。しかし、2018年2月のスコットランド戦を最後に代表チームから遠のいていた。

 2019年、年が明けて間も無くフィジーで容態が悪くなった母親を見舞った時に「フランス代表に復帰してW杯に出場する」と約束した。
 フランスに戻ってすぐに母親の訃報を受け取った。フランス代表ジャージーを手に再びフィジーへ飛び立ち、母に捧げた。

 W杯日本大会の準備合宿メンバーが発表されたとき、そこにはヴァカタワの名前はなかった。
 しかし負傷者が出たため追加招集され、イタリアとのセレックションマッチでコーチ陣の信頼を勝ち取った。
 W杯メンバーに入って来日、大会の3試合でスタメン出場を果たして母との約束を守った。

 2020年に若返ったフランス代表チームで年長者となったヴァカタワは、リーダーとなり、若い選手を導いた。「2020年、2021年は世界のベストプレーヤーの1人だった」とファビアン・ガルチエ代表HCは言う。

 負傷、そして同じポジションのジョナタン・ダンティーやヨラム・モエファナの台頭で今年のシックスネーションズで優勝を味わうことはできなかった。この夏、1年3か月ぶりに代表ジャージーを着た日本戦が現役最後の試合となった。
 奇しくも7人制代表デビューの地、東京で。

 メディカルチェックの基準は各国リーグによって異なる。
 2019年に日本のトップリーグのシーズンを終えたダン・カーターがラシン92に助っ人として一時的に加入することが発表されたが、LNRのメディカルチェックで首に問題があるとしてフランスでのプレーが認められなかったことがある。

 ヴァカタワもフランス以外の国であればプレーを続けることも可能かもしれないが、「ラシン92が僕の家族。僕は一生ラシング・マン(ラシン92の人間)だ。これからもフィジーの選手がやって来るだろうから彼らの助けになりたい。僕の経験を若い選手に伝えていきたい」とフランスに、ラシン92に残る意向を伝えている。


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