国内 2022.05.29

「進学校卒業後にラグビー留学」。「スラム街で普及活動」。「トンガ王国チャリティ活動」。小澤響平さんのラグビー愛列伝

[ 多羅正崇 ]
「進学校卒業後にラグビー留学」。「スラム街で普及活動」。「トンガ王国チャリティ活動」。小澤響平さんのラグビー愛列伝
フィリピン・レイテ島でチャリティーイベントをおこなった時の小澤さん。寄贈のラグビーボールを受け取った現地の子供と。(写真提供:Rugby Online)
フィリピンで孤児の子どもたちにラグビークリニックをした小澤さん。少年(左)は孤児たちのリーダーで、自身の両親はマフィアに殺害されたという。(写真提供:Rugby Online)



 アンタ、ホンマにええ人やなぁ。

 ラグビー用品販売会社「Rugby Online」(ラグビーオンライン)を経営する小澤響平(おざわ・きょうへい)社長は、友人にそう言われることがある。小澤社長は褒められると弱い。いつもの軽いノリで、照れ隠しをしてしまう。

 別にたいしたことないっス。

「社長」というよりは「シャチョー」と表現した方がしっくりくる陽気な46歳は、数々の“ラグビー愛列伝”を持っている。

 東京都出身で、2人兄弟の次男。出身高校は国立の筑波大学附属。灘高や開成高と並ぶ日本有数の進学校で、2022年には秋篠宮家の長男・悠仁さまが合格された名門だ。

 中学までサッカーをしていた小澤シャチョーは、そんな筑波大付属でラグビーに出会った。同校ラグビー部は2度目の廃部で活動休止中だが、22年5月時点で7人による同好会が立ち上がっており、復活の兆しがある。

「『スクール☆ウォーズ』の再放送でラグビーにハマって、高校から始めました。でも先輩が2年生の3人しかいなかったんです。“つくふ”(筑波大付属)は3年生になると受験のために部活を辞めちゃうので」

「そこで1年生を校門で待ち伏せして、『ラガーマンって響き、カッコよくね?』みたいな謎のノリで勧誘しまくって、同期を17人くらい増やしました。そんなチームなので、1年生の時は試合で点を取ったことがなかった。2年生で初めて3点取りました!(笑)」

 ラグビーに夢中だった小澤シャチョーは、当然のように最終学年まで在籍。花園予選は3回戦まで戦った。

 通常であれば花園予選敗退で引退だが、シャチョーは違った。

「3回戦で負けたんですが、個人的には『負けてない』と思っていて、新人戦の時もラグビー部にいちゃいました。ラグビーを続けたかったんですが、もちろん大学からお呼びか掛かるわけもなく、どうせならお金を貯めて本場のニュージーランドに行っちゃおうと思ったんですね」

 同期は医学部へ進んでその後医者になるなどしたが、ラグビーが好きすぎて引退を拒んだ異端児は、渡航費を稼ぐためのアルバイト生活に突入。そして高校卒業後の5月、ニュージーランドへ渡ってしまった。

 単身でラグビー王国に渡った小澤シャチョーはその後、ウェリントン・クラブで主にスクラムハーフとして2年間プレー。クラブのU21チーム(コルツ)の主将も務めた。

 帰国後には受験勉強をして明治学院大学に入学。ニュージーランド流の自由な気風を求めて体育会には所属せず、ラグビーサークルで4年プレーした。

 就職にあたっては、溢れるラグビー愛から、当たり前のようにまず「ラグビー系の仕事がしたい」と考えた。

「ラグビー系の仕事がしたいと考えていた時、そういえばニュージーランドにラグビーグッズがたくさんあったな、と。当時日本ではボールが特に高くて1球8000円くらい。でもニュージーランドでは日本円にして1000円くらいで、日本にもってきたらビジネスになるのでは、と思ったんですね」

 大学卒業後の2000年にもう一度ニュージーランドに渡りビジネスを始めた。日本では当時インターネット一般化の初期で、簡単なホームページを作ってラグビー用品の販売を開始。初期だから「rugbygoods.com(ラグビーグッズ・ドットコム)」というズバリなドメインも取れた。

 それが現在の「ラグビーオンライン」の始まりだ。

 いまや会社はオールブラックス(ニュージーランド代表)やワラビーズ(オーストラリア代表)のライセンスを持つまでに。

 路面店は東京・大阪・福岡に3店舗。選手にとっては、長野・菅平のプラザホテルなどに毎年夏季限定オープンする店舗がお馴染みだろう。

 シャチョーは仲間と会社を大きくしただけではなかった。

「企業は稼ぐだけじゃなく、社会貢献が義務だと思ってます。2014年頃からは『Reuse project』(リユース・プロジェクト)という活動も続けています」

 シャチョーが仕掛けたリユース・プロジェクトは、日本で使われなくなったラグビー用品を、アジア・太平洋地域の貧しい地域へ寄贈する活動だ。

「最初はフィリピンでしたが、カバンに日本から持ってきたラグビーボールを3個くらい詰めてスラム街に行きました」

「夜間にバスケットコートで子ども達が遊んでいたので、ラグビーボールを渡して『これで遊ばない?』と。壁にボールを付けたら勝ちな、とか言っているうちに、パスとかキックが始まって『これラグビーじゃん!おもしれー!』と思って」

 2014年にフィリピンが大型ハリケーン(ミランダ)に襲われると、現地の日本人クラブ「マニラ・ハポンズ」等と連携し、被災地レイテ州でチャリティイベントも行った。

 フィリピン、インドネシア、マレーシア、タイ、中国、ベトナム・・・。各国の貧しい地域で普及活動を続け、主旨に賛同したラグビー界のレジェンドたち、松尾勝博、箕内拓郎、冨岡鉄平、菊谷崇らも行動を共にした。

 ボランティア精神溢れる人情派社長は、2022年1月、日本ラグビーと関係の深いトンガ王国が噴火・津波で被災すると、ふたたび仲間と行動を起こした。

 きっかけはトンガ人留学生がいる大分・日本文理大学ラグビー部の永野裕士監督との会話。永野監督はニュージーランド留学を経験した仲間だ。

「永野監督から連絡があって『トンガからの留学生がいるから何かしたい』という話になり、そこからチャリティTシャツのプロジェクトが始まりました」

 収益は全額トンガ出身の留学生、トンガ王国への義援金に。友人である中島イシレリ(コベルコ神戸スティーラーズ)のチャリティ活動「Yeaboii Charity Project」にも50万円を寄付した。

 2022年5月には、駐日トンガ王国大使館にチャリティプロジェクトの収益100万円を寄付。トンガ王国の大使に直接会い、目録を手渡した。

 大使との橋渡し役は、日本トンガ友好議連事務局長を務めている柿沢未途衆議院議員。

 江東区(東京15区)を選挙区とする柿沢議員との繋がりは、江東区在住の小澤シャチョーが参加している、清水建設江東ブルーシャークスの私設応援団だ。楕円の繋がりでトントン拍子に話が進んだ。

 そのほか、会社で保有していた150万円分のフェイスシールド、またコロナ禍により他社から引き取った過剰在庫のスパイクも、トンガ王国に寄贈した。

 ラグビーオンラインはYouTubeチャンネルを開設しており、小澤シャチョーが軽妙なマシンガントークで喋りまくっている。
「YouTubeを始めたキッカケは、コロナで店舗にお客さんが来られなくなって『寂しいね』と言っていた頃に、スタッフに『お店とか商品を観たい人はいるんじゃないですか』と言われたこと。『やってみます?』みたいな感じで2021年に始めました。後輩に『おのれをさらけ出せ』とか言われて、『じゃあさらけ出すか』ということでやってます(笑)」

 そのYouTubeチャンネルで、シャチョーの無償の社会貢献、ボランティア活動をもっと大々的に伝えてもいいのではと思うが、別に褒められたいわけじゃない、と思っているのだろう。

 アンタ、ホンマにええ人やなぁ。小澤シャチョーに関わった人は、みんなそう言いたくなってしまうのだ。


PICK UP