国内 2022.05.05

周到な準備で掴んだ4月デビュー。紙森陽太[クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/PR]

[ 明石尚之 ]
周到な準備で掴んだ4月デビュー。紙森陽太[クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/PR]
S東京ベイ・PR紙森陽太は後半16分、海士広大との交代でデビューを果たした(撮影:高塩隆)

 4月23日、世代屈指のスクラメイジャーが江戸陸に立った。

 紙森陽太。
 この4月に近大からクボタスピアーズ船橋・東京ベイへと加入したばかりの新人だ。

 コベルコ神戸スティーラーズとのリーグワン・ディビジョン1第14節で、背番号17を勝ち取る。後半16分、やや硬い表情を浮かべながらピッチに入った。
「すごく緊張しました」

 約2分後、最初のスクラムが訪れる。前半は反則を犯すなど、やや劣勢に映ったスピアーズのスラムを立て直し、クリーンな球出しを実現。少しばかり押したものもあった。
「良い形で組めたのが何本かありましたが、まだまだな部分も多かった。しっかり修正して、次はもっと押したいです」

 トイメンは同じく新人で、東海大出身の前田翔だった。大学2年時の練習試合でも対戦。遡れば、高3時の花園決勝でも激突した因縁の相手だ(お互い3番)。紙森は大阪桐蔭で、前田が東海大仰星。優勝したのは27-20で仰星だった。
「腐れ縁です(笑)。感情としては燃えましたね」

 試合後のミックスゾーンでは「正直、出た実感はまだ湧かないです」と話すも、4月でのデビューは目標として定め、着実に準備を進めていた。

 チームへの合流は「1月6日ごろ」と早かった。
 12月18日には近大にとって9年ぶりの大学選手権に出場していた。それから約3週間後には、千葉は船橋にいたのだ。

「休みの期間中にラグビーをやらないと、すごく不安になる。そのくらいだったらと、早めに合流しました。スクラムは馴染むのに時間もかかる。システムもインプットして、できる限りクボタに貢献したいと思いました」

 そうした練習への姿勢を、コーチ陣は高く評価した。かくして、4月中のリーグワンデビューを勝ち取った。
「練習への姿勢はしっかり意識して頑張ってきたので、それで選ばれたのは嬉しかったです」

 プロップ一家に生まれた。セコムなどでプレーした父・敏彦さん、兄・大樹さん(ユニチカ)、弟・智洋さん(大経大)もPRだ。四條畷中でラグビー部に入る前は、小学4年まで空手を習い、以降は囲碁クラブに通っていた。

「兄が中学でラグビーを始めていて、自分もやっと見ようかなと。父もラグビー選手だったと知ったのは、自分がラグビーを始めてからでした (笑)」

 高校は東海大仰星への進学を希望していたが、「実績も実力も足りなかった」。かねて誘われていた大阪桐蔭に進む。

「はじめは大阪桐蔭の誘いを断っていたんです。でも仰星は落ちてしまって…。その後に中学の先生が綾部(正史)先生に頼み込んでくれて、もう一度チャンスをもらえました。感謝してもしきれないです」

 だから上述の花園決勝は相手が仰星だったから、「これは運命だな」と感じた。
「ここで倒したろって思いでいきました。けど負けてしまって…。めちゃくちゃ悔しかったですね」

 そうしたいきさつもあり、大学は一番早くに声をかけてくれた近大に決めた。
「綾部先生からは一番に声をかけてもらっていました。なので、大学も一番早く声をかけてくれたところに行った方がいいのかなと。自分のことを見てくれていたところに行った方が、幸せになれると思いました」

 関西の強豪チームを倒す、チャレンジャーの立ち位置にも惹かれた。近大では1年時から先発。関西リーグ6位、5位、8位と結果はついてこなかったが、4年目に花は開いた。
 福山竜斗主将(現・相模原DB)が率いた昨季は、開幕戦で天理を破り、続く同志社大も下した。同志社大戦後は「いまが一番楽しい」と相好を崩した。

 スピアーズ入団を決めたのも、そうしたチャレンジャー精神からだった。2年連続の4強入りを決めた上昇チームで優勝したい。
「まだ優勝していないチームに入って、勝利に貢献したいと思いました」

 172㌢、105㌔と小柄な体躯も、「そこで勝負する」。
「日本代表を目指します。小さな体格を活かしたスクラムを伸ばしていきたい」

 隣で取材対応していた元ワラビーズの司令塔、バーナード・フォーリーからはすでにお墨付きをもらった。
「カミモリサン、スゴイヨ。スーパースター。ビッグフューチャー!」

 ルーキーは、はにかみながら帰りのバスへ向かった。

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