【ラグリパWest】愛称「おっさん」、本物のおっさんになる。中田章浩 [常翔学園FWコーチ]
愛称は「おっさん」。そう呼ばれた中田章浩は正真正銘のおっさんになった。還暦だ。
今は常翔学園のFWコーチである。母校は冬の全国大会出場40回、優勝5回は歴代5位の記録になる。
「この年で好きなラグビーに携われて、高校生の変化を日々見てとれる。幸せや」
おっさんのあだながついたのは中学の時らしい。老け顔。大阪の中坊たちはそこを突く。ただ、利点もある。60歳になっても、衰えを感じさせない。人生は行って来いだ。
母校のコーチをフルタイムでつとめ、この4月で3年目に入った。
「業務委託でさせてもらってる」
7時からの朝練習に付き合い、放課後の練習に出る。その間は深江橋の実家に戻る。85歳の母の面倒を見る。
監督の野上友一の評価は高い。常翔学園の前校名、大阪工大高における3年先輩である。
「昔、ようおった雷おやじや口うるさいおばはんの役をやってくれてはる。助かります」
常にトレーニングの中に入り、「速く」、「もっと」、「まだまだ」などと声をかける。
中田の専門はスクラムだ。現役時代は169センチ、85キロの体でフロントローだった。
「スクラムは毎日、組めてる感じや。部員たちには、用意してこいよ、と言うてある」
野上も同じポジションだっただけに、スクラムの大切さを知る。
「組み止める、押し切るなど、ラグビーに必要な体の使い方を学びます」
高校特別ルールで1.5メートル以上は押せないが、もっと核心的な部分を大切にする。
中田はスクラム強化のポイントを話す。
「まずは数を組むことや。その次がウエイト。体幹を鍛える。スクワットやデッドリフトなんかやな。せやけど、数を組んでたら、そんなことをせんでもいいんやけどな」
中田のスクラム人生は15歳の時に始まった。大阪工大高に入学後、当時の監督だった荒川博司に言われた。
「6月までに体重を65キロにしろ」
そうすればスタンドオフを続けられた。競技は城東五中(現・城東中)で始めていた。
「そんなん、落とせるわけないやん。そん時の体重は80キロやで。気がついたら背番号10から0が取れてしもうてたわ」
天理大に行って、大学生と泣きながらスクラムを3時間も組み続けた。耳はすぐに腫れ、ギョウザになった。
「ウォークマンで歌を聞きたかったわ」
ヘッドフォンが耳になじまない。小型の音楽プレーヤーをつけて街を歩けなかった。当時は若者のおしゃれの象徴だった
ファッショナブルになれなかった分、レギュラーは押さえた。全国大会には2度出場。58回大会(1978年度)は初戦で敗退。目黒(現・目黒学院)に3−8。59回大会は4強で抽選負け。國學院久我山に3−3だった。