コラム 2022.04.27
【ラグリパWest】愛称「おっさん」、本物のおっさんになる。中田章浩 [常翔学園FWコーチ]

【ラグリパWest】愛称「おっさん」、本物のおっさんになる。中田章浩 [常翔学園FWコーチ]

[ 鎮 勝也 ]



 卒業後は京産大に進む。
「初日の練習で倒れたわ。ラン、ラン、ラン。スパイクを履かずにずーっと走ってた」
 監督の大西健はまだ30代。出身の天理大譲りの猛練習を選手たちに課した。

 大学でも疲弊の代償は手にできた。チームは3年時に大学選手権に初出場。19回大会(1982年度)は1回戦で早稲田に16−45。当時は8校制だった。次の20回大会は4強敗退。準決勝で同志社に15−46。相手は3連覇の2連覇目だった。同級生の大八木淳史やひとつ下の平尾誠二を擁していた。

 就職はアパレルのワールド。1984年、ラグビー部を立ち上げた。その1期生になった。
「一からチームを作り上げる、というところに魅力を感じてん。楽しかったなあ」
 社会人では日本代表の下に位置する日本選抜に選ばれた。

 34歳で現役を引退。その後は部長などをつとめた。ハイライトは全国社会人大会(リーグワンの前身)の準優勝。52回大会(1999年度)は神戸製鋼に26−35。その愛着のあるチームは2009年、なくなる。成績不振などを理由に廃部に至った。

 中田は社業を続ける。退社はその6年後。損保系の会社に4年、籍を置いた。2020年から常翔学園のフルタイムコーチ。9年前から週末はコーチングを施していた。

「ここまでこれたんは荒川先生のおかげや。先生がFWに行け、って言ってくれたから今がある。しんどかったけど、レギュラーになれた。BKやったら大学にはいけてない」

 自分がそうだったから、FW第一列にコンバートされても、前向きに取り組んでほしいと願う。新3年生の田中一誠と井場元誠はともにBKあがりのフロントローだ。
「大学に行くのに有利やと思うよ。どこもみんなそこを探しているからな」
 入学すれば即、無条件の押し合いになる。常翔学園はそれにすでに慣らせてある。

 今年のチームは春の選抜大会の出場はならなかった。近畿大会で京都成章に31−36。4つあるブロック決勝で敗退した。そこで敗れた4チームが抽選を行い、5つ目の出場枠を決める。当たりくじは天理が引いた。

 その後の練習では1時間は基礎に励む。逆立ち歩き、ひとかかえもあるバランスボールの取り合いなどをこなす。野上は言う。
「結果が出ない時は、戦術や戦略に走りがち。せやけど、こういう時こそ、基本に立ち返る練習が大切やと思う」

 野上は常翔学園の全国大会出場のほぼ9割、35回に関わった。選手で3回、コーチと監督で32回。中田はこの先輩をそば近くで盛り立てていきたい。それは恩師の荒川に対する恩返し、そして供養でもある。


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