【学生スポーツ最前線】 都留文科大学ラグビー部の「葛藤」と「感謝」
大好きな部活から少しずつ、少しずつ気持ちが離れていく。グラウンドにも行けず、仲間にも会えない。オンラインでミーティングもやったが、そもそも大会があるかどうか分からずモチベーションは落ちる一方だ。
「今年は違う」と思っていたのに。こんなはずじゃなかった――2021年秋、都留文科大学ラグビー部でキャプテンを務める梶原顕(かじはら・けん)はやり場のない怒りと戦っていた。
山梨県都留市にある都留文科大学は教員養成系大学として60余年の歴史を持つ。ラグビー部は1960年代後半に創部された伝統があり、関東の5部リーグで戦う。
チーム運営は選手主体。自分たちで練習メニューを決め、練習相手を探し、秋の大会を目指す。山梨県側の富士山麓、自然豊かな都留市で楕円球を追いかける家族的なチームだ。
新型コロナウイルスの世界的流行が始まって2年目の春、21年4月の都留文大ラグビー部は活況だった。キャプテンを務めていた梶原は当時を楽しげに振り返る。
「例年より部員数が多く『今年は違う』という雰囲気でした。新歓(新入生歓迎会)は例年4、50人の新入生を集めて盛大にやるのですが、コロナ対策で3人1組など人数制限をしました。新歓の甲斐あって新入生も入ってくれて、部では最上級生になる3年生だけで20人。今年はイケる、と思いました」
目標は4部昇格。達成すれば部史上初の快挙だ。しかし梶原キャプテンの猛る想いは、コロナによって挫かれた。
「夏の初めから、コロナ対策で部活の対面活動が禁止になりました」
恒例の菅平合宿は2年連続の中止になった。長期の対面活動中止が始まると、2年生が大量に辞めてしまった。彼らは入学時からコロナに打ちのめされてきた世代だった。
「2年生はコロナが流行りだした20年からほとんど練習ができておらず、基礎もしっかり教えられていませんでした。練習をしても試合があるか分からず、何のために身体を痛めているのか、となるんです。徐々に人が減っていって、秋には15人ギリギリになりました」
部活の対面禁止は晩秋まで続いた。部活に入っていないかのような一日が淡々と繰り返されていく。キャプテンの梶原でさえ、ラグビーから気持ちが離れ始めていた。こんなはずじゃなかった。春に感じていた高揚感は跡形もなかった。
そもそも都留市出身の梶原にとって、都留文大での大学生活は念願だった。
梶原の祖父と祖母は、都留大で出会って結婚した。みずからも教師への「漠然とした憧れ」から教員養成系大学の都留文大を志し、一浪して掴んだ地元での大学生活、ラグビー部生活、のはずだった。
「ラグビーから気持ちが離れていく感じがしました。まったくボールに触れない、仲間にも会えない。そうなると、どうしても関心が薄れてしまう。それが悲しかったです」
のちに22年度のキャプテンになる当時2年生の金子飛鳥(かねこ・あすか)も、色褪せていく情熱を眺めることしかできずにいた。
神奈川県出身の金子は高校時代、ラグビー部を途中で辞めたことを後悔していた。都留文大で覚悟をもって楕円球を手にしたから、同級生が大勢辞めても自分は残った。そんな金子でさえ、気持ちが冷めた。
「団体競技のラグビーは一人じゃ練習しづらいのが実状です。都留市で一人暮らししていますが、近所をランニングするくらいでした。気持ちはだんだん離れていきました」
大学の対面禁止は10月中旬に明けたが、しかし所属するリーグ戦5部はすでに10月3日に開幕していた。月末の7人制大会への出場を考えたが、大学の出場条件に該当せず。
ようやく手元にボールが戻ってきた時、都留文大ラグビー部の行く手には何もなかった。あるのは自動的な引退を待つだけの日々だった。
このまま引退なのか。いや、このままでは終われない。
せめて、1試合だけでも。
「もう出場できる試合がないと分かった時点で、最後に1試合だけでもやりたいと動き始めました。特に4年生は去年2試合しか試合をしておらず、4年生のためにも『みんなの引退試合』を組もうと考えました」(梶原)
近隣にラグビー部のある大学がないこともあり、梶原たちはTwitterでの拡散に賭けた。
【拡散希望】
— 都留文科大学ラグビー部 (@tsuru_rugby) October 26, 2021
本校はコロナ禍での部活禁止の状況が続いたことによる練習不足などの理由により、関東リーグ参加を諦めざる負えない状況となりました。それに伴い、最後に練習試合という形で戦ってくれる相手を募集しています。
OKして下さる方がいましたら、DMでの連絡どうぞよろしくお願い致します🙇🏻🙇🏻 pic.twitter.com/FLuUGYuubA
リツイート数は130件超。大きな反響だった。
しかしここでもコロナが障壁となる。他大学のラグビーサークル2チームから練習相手の申し出があったが、その後に調整難航の知らせが続いて断念。大学側と協議したがグラウンドが取れない等のコロナ事由だった。
もう諦めようか。そんなムードも漂っていたという21年冬だった。
ラグビーグラウンドを保有する一橋大学から声が掛かった。
すぐに梶原らは動いた。まずは大学側に許可をもらわなければならない。授業をこなしながら感染対策を練り、会場移動時は数台の車に分乗して窓を開ける等、「文句のつけどころがない感染対策」(梶原)を提示して大学側の実施許可を取り付けた。
迎えたハレの日は、21年12月19日。
東京都国立市の一橋大学グラウンドで、梶原キャプテン率いる「第53代」の引退試合、一橋大学戦がおこなわれた。前年度に2試合しか公式戦がなかった4年生も出場し、先制トライを奪うなどした。17-34で負けはしたけれど――
「楽しかったです。よく身体も張れました」(梶原)
アタックの要であるナンバーエイトとして、梶原主将はラストマッチを駆けた。
「一橋大学さんには本当に感謝です。試合では短い練習期間ながら『よくここまでできた』という内容でした」(金子)
フルバックとして出場した翌年度キャプテンの金子は、感謝を胸にプレーした。
試合後、梶原は一橋大のチーム幹部と言葉を交わした。
「当たり前だと思っていた試合は、当たり前ではありませんでした。いろんな人の影の努力、協力があって引退試合を実施することができました。試合後に一橋大の幹部の方と話しました。人生で経験したことがないくらいの感謝の気持ちが溢れてきて、涙が出ました」
本当にありがとう――。コロナには打ちのめされてばかりだったが、あがき続けたら、たくさんの温かい善意に出会えた。仲間と共にひとつの試合を実現させた先には、感謝に胸を震わせる自分がいた。
一橋大は22年度も都留文大との練習試合を組んでくれるという。コロナと闘い、新たな楕円球の縁が生まれた。
「新しいつながりを後輩に残してあげられました」
教員を目指して就職活動を始める梶原は、少なくない成果を残してラグビー部を後にした。
見事に引退試合を実施できた都留文大ラグビー部だが、物語はハッピーエンドでは終わらない。
新チームは2月中旬時点で練習が「5回くらい」(金子新主将)しか実施できていない。プレイヤーは5人で、マネージャーは2人。都留文大のアットホームな雰囲気を分かってほしいが、恒例の新入生歓迎会ができるかどうかは不透明。コロナとの闘いは現在進行中だ。
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