ラグビーに没頭。つかんだ初先発。山菅一史[横浜キヤノンイーグルス/SH]
コンビを組む相手はキャプテン。日本代表キャップを68も持っている。
移籍1年目、初先発の24歳が、プレッシャーを感じておかしくない状況で堂々としていた。
横浜キヤノンイーグルスのSH山菅一史(やますが・かずふみ)が2月27日のブラックラムズ東京戦(駒沢)で、初めて赤いジャージーの背に9番をつけてプレーした。
今季、それまで出場してきた3試合は、終盤約20分を任せられるフィニッシャーとしての登場だった。
しかし、初先発でもパフォーマンスはいつも通り。後半31分にピッチを離れるまで、30-12と快勝する試合をリードした。
落ち着いていた。
本人は「(SO田村)優さんをはじめ、周囲にリードしてもらった」と話す。いつも積極性のあるプレースタイルも、普段は控えめな性格だ。
SO田村は試合後、「(山菅は)強気な選手で、それに助けられるところもある」と評価した。
東海大を2020年の春に卒業。栗田工業に入社し、同シーズンはウォーターガッシュでプレーした。
社員選手として、仕事全力、ラグビー全力の両立生活を送る。全5試合に先発した。
ルーキーイヤーからの活躍。
仕事にも取り組み、ラグビー選手としてのキャリアを終えたら、ビジネスマンとしても活躍していける。
望んだ生活のはずだった。
それなのに悶々としていた。
大学時代の同期、PR中野幹(サントリー)、HO新井望友(NEC)、SO眞野泰地(東芝)がトップリーグチームに所属している。
大学ラグビーを終えた途端サンウルブズで活躍し、サンゴリアスでも躍動したSH齋藤直人、CTB中野将伍らは同い年だ。
同世代の活躍に刺激を受けながら日々を過ごしていた。
望んだ生活のはずだったのに、それを中途半端に感じたのは、もっとラグビーに没頭したい自分がいたからだ。
SH出身の月田伸一ヘッドコーチ、森洋三郎BKコーチから専門的なアドバイスを受けられたのは良かったけれど、ウォーターガッシュを離れようと決断した。
GMや関係者へ移籍の思いを伝える時点で、それは相談ではなく、固まった意思の報告だった。
律儀なのは、退社の覚悟を伝えてから新天地を決めたことだ。
トップカテゴリーのチームだけを見ていた。狭き門。約束されたものは何もなかった。
しかし、退路を断って自身の覚悟を示さないと道は拓かないと考えた。
「もし、うまくいかなかったらどうしよう。そんな考えも持ちませんでした。それでは、(チャンスを)つかめない、と」
強く願えば叶う。そう信じた。
思いが届いてイーグルスの一員となったいま、充実している。
プロとしてラグビーに没頭。厳しい指導者とレベルの高い選手たちに囲まれ、刺激を多く受ける毎日は思い描いていたものだ。
「(SHの先輩)天野さんのコミュニケーション能力など、勉強になります」と話す。
SHを始めたのは東海大2年時からだ。
それまではCTB。東京高校時代は1年時はSO。その後、FBでプレーすることが多かった。
SH転向は、木村季由監督からの進言があったからだ。体のサイズや未来図を踏まえてのものだった。
ライバルたちより浅い経験値を克服するため、徹底して個人練に取り組んだ。
ラグビーは世田谷区立千歳中で始めた。
それまで、柔道、レスリング、サッカーをしていた。
「親が、それらを掛け合わせたらラグビーになるね、と言ったので、近くの中学で始めることになりました」
自身が武器のひとつと考えるタックルは東京高校で身につけた。
シャローディフェンスを徹底していた同校。1年時からSOとして防御ラインを引っ張った。
「あれを続けていると、前に出て倒すことへの怖さなんてなくなります」
イーグルスでも、その得意分野は出番をつかむための助けとなる。
防御時、SHがある程度自由に動けるシステム。その中で、磨き続けてきた感覚が生きる。
判断よく前に出る。防御ラインのカバーディフェンスで、抜けてきた相手に突き刺さる。
輝けるシチュエーション。両耳ともギョウザである。
毎日が楽しい。
そう話す表情が穏やかだ。
自分の心に正直な道を選んで良かった。