コラム 2022.03.03

【コラム】「戦争を止めさすにはどうしたらいいのか」。智慧を担う私たち

[ 谷口 誠 ]
【コラム】「戦争を止めさすにはどうしたらいいのか」。智慧を担う私たち
2020大会五輪予選でアイルランドと戦う。左がウクライナ(マクシム・コヴァレヴスキ選手/Photo/Getty Images)

 スポーツ団体の広報文としてはかなり珍しい部類に入る。

 ホームページに掲載されたのは、SUVと呼ばれる多目的スポーツ車の必要性を訴える内容だった。「古くても状態が悪くてもかまいません。条件は1つだけ。2000~3000キロの走行が可能なことです」

 2月28日にウクライナラグビー協会が公開した文書には、こういう文言もある。「私たち全員が銃の撃ち方を知っているわけではありませんが、できる限りの方法で軍を支援しようとしています。SUVは占領軍の工作員や偵察隊を発見し、無力化するために必要です」。前線部隊に届ける車両の購入手続きを進めているが、海外への送金ができないと説明。オーストリアの口座への募金を求めている。

 ウクライナのラグビー界が慶事に沸いているはずの時期だった。2月25日、中部ヴィーンヌィツャ州での地域協会の創設を予定していた。あわせて体育教師300人へのセミナーも開くはずだったという。その前日のロシア軍の侵攻で、すべては吹っ飛んだ。

 ラグビー協会は軍の後方支援に奔走する。サッカーでは選手2人が爆撃などで亡くなった。スポーツどころではない状況なのは言うまでもない。市民の死者は増え続け、2000人を超えた。

 ウクライナ、スコットランド、ポーランドなど15か国のラグビー協会はロシアの処分を求めて欧州協会の幹部に文書を出した。理由を語る言葉が核心を突く。「スポーツは戦争と真逆の存在である。スポーツは自由を守り、平和を後押しするために発言しなければならない」

 戦争を決断したロシアのウラジーミル・プーチン大統領もスポーツの愛好家として知られる。特に柔道には造詣が深く、資格停止中とはいえ国際連盟の名誉会長も務める。この日本生まれの競技には「自他共栄」という理念がある。提唱したのは講道館柔道の創始者、嘉納治五郎。他者との協調を訴えるもので、プーチン大統領の行動とは真っ向から対立する。

 嘉納がこの先進的な理念を掲げたのは、2つの世界大戦に挟まれた1922年だった。数十年後、一歩進んで「スポーツには戦争を止める力がある」と唱えたのが、ラグビー日本代表監督を務めた大西鐵之祐である。

 太平洋戦争に出征、シンガポールやマレー半島で凄惨な戦闘を繰り広げた経験を「全く狂気の沙汰だった」と総括。戦争を防ぐために紡ぎ出した思想が「闘争の倫理」だった。

 同名の著書の中から言葉を拾ってみる。

「こうした局面(戦争)をつくる前の段階で人間は何か自分をコントロールする修練をしておかないと駄目なのではないか」

「われわれが平和に生きて行くためにはどうしてもそれ(闘争の倫理)を教えておかなければ、特に指導者に教えておかなければ、世の中が乱れ、平和ではなくなる」

 理性を失い、殺し合いが始まってからでは遅い。事前に自己を律すべし。そのための力をスポーツによって身につけられる。大西はそう説いた。

 この哲学の特に優れている点は、スポーツの本質と密接につながっているところだろう。

 大西はスポーツの要素の1つ、「闘争性」に着目する。真剣勝負の中で工夫を凝らして相手に勝とうとする意思、行為のことを指す。試合中、勝利とフェアプレーの両立が難しい瞬間がある。迷わずフェアプレーを選ぶことができる力が「闘争の倫理」である。

「試合中、この汚い手をやれば勝てるが、あくまでもフェアに戦うべきだという心の葛藤を瞬時に解消し、正しい行動ができる選手を育てることがスポーツの価値ではないか」

 興奮、焦燥、疲労の極限にあったとしても、譲れない一線を守る。そのための訓練を実戦で繰り返すことで、いかなる時でも倫理的に正しい判断を下せる力が身につくという主張だ。

 ラグビーで具体例も挙げている。「(地面にある)ボールを蹴る時に相手が(頭から)セービングをしてきたら、そっと力を抜く」。「不可抗力」で相手が負傷交代でもすれば、自軍には追い風となる。しかし、「ちょっと待て、それはきたないことだ、と二律背反の心の葛藤を自分でコントロールできること、これがスポーツの最高の教育的価値ではないか」

 大西は「闘争の倫理」をスポーツの究極の目標に掲げた。「人間の持っている本性を、勝負のなかで露わにし、それを人間はどういうふうにコントロールしていくべきかということを身につけるのが、スポーツ教育の目標のような気がしている」「人間はその闘争を色々コントロールする方法をあわせて考えてきた。そのコントロールする方法を教える唯一のものがスポーツだ」

 今の時勢からすると、次の一節は魂の叫びのように聞こえる。「戦争を止めさすにはどうしたらいいのかというのが、これが闘争の倫理なんだ」

 大西の哲学は今も古びない。むしろ、現代的な意義は高まっているような。

 著書『闘争の倫理』では、カントらの近代哲学との関連性が触れられている。しかし、より共通点が多いのはアリストテレスの倫理学ではないか。

 古代ギリシャの賢者は、人間の徳目の一つに「プロネーシス」を掲げた。思慮深さ、実践知などと訳される概念である。善悪に関わる行為をなすとき、その時々の状況に合わせて正しい判断を下す能力を指す。

 プロネーシスは個々の行為に関する判断力であり、学問的な知識や技術とは違う。刻々と変わる試合中に公正な振る舞いをする力を持てと説く、大西の思想と重なる部分が多い。

 プロネーシスは経験の中で身につくとされている。「闘争の倫理」もそれぞれの人が試合の中で悩み、考えることを重視する。この点でも両者は共通している。

 アリストテレスの思想は近年、科学と倫理の関係性から再評価が進む。遺伝子操作、人工知能、原子力……。この100年、人類の存亡を左右する技術が急速に発展した。野放図に使えば破滅に至る、こうした技術をどう制御するのか。プロネーシスのような実践知が必要ではないか、と指摘されている。

「闘争の倫理」から今、汲み取るべきヒントは多い。ただ残念なのは、この思想についてラグビーや他競技のファン、選手に広める機会が極めて少ないことである。

「みんなで闘争の倫理を作り上げて、その中心にフェア・プレーの精神の考え方を持ち込んでいって、フェアこそスポーツ人が持つあるいは人間が持つ平和を維持する最も重要なものだという哲学を作り上げる。そしてそれを言ってみれば宗教のごとくにする」。こう記した大西の理想とは遠い状態にある。

 柔道では「自他共栄」について考えることを目的にした大会が国内で開かれている。日本代表や早大を率いた名将でもある大西の思想を、ラグビー界として後世に伝える活動をもっと行うべきではないだろうか。

 大西の独創的な哲学は海外に発信する価値もありそうだ。2019年のワールドカップでは「ノーサイド」「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」といった、日本のラグビー界に受け継がれてきた理念が世界に発信された。

 ワールドカップの近い将来の再招致を日本協会は目指している。2度目の祭典は「闘争の倫理」を世界に広める機会にしてもいいのではないか。かつてスポーツに打ち込んだ人が戦争を起こすことがもうなくなるように。

【筆者プロフィール】谷口 誠( たにぐち・まこと )
日本経済新聞編集局運動部記者。1978年(昭和53年)生まれ。滋賀県出身。膳所高→京大。大学卒業後、日本経済新聞社へ。東京都庁や警察、東日本大震災などの取材を経て現部署。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で社会人修士課程修了。ラグビーワールドカップは2015年大会など2大会を取材。運動部ではラグビー以外に野球、サッカー、バスケットボールなどの現場を知る。高校、大学でラグビーに打ち込む。ポジションはFL。

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