コラム 2022.02.24

【コラム】ブルースへのラブレター。

[ 田村一博 ]
【コラム】ブルースへのラブレター。
入団12年目も元気に走り続けるカーン・ヘスケス。ブルース愛が強い。(撮影/上野弘明)



 うちには、大畑大介のような選手はいないんですよ。
 だから…。
 そのあとに続くのは「仕方ない」ではなく、「ふたりの動きを組み合わせ、大畑と同じ動きをするんです」だった。

『抜く』について、話しているときだった。
「ひとりの鋭いステップで抜いていけたら楽ですが、それができないから、カットアウトとカットインと、ふたりの動きでやる。ないものねだりしても仕方ないので」

 当時、まだ福岡サニックスブルースだったチームを率いていた藤井雄一郎監督(現・日本代表ナショナルチームディレクター)は、いつもそんなことを言っていた。

 宗像サニックスブルースの存続が危ぶまれている。
「ラグビー活動を続けるかどうか検討している」
 2月15日、選手、関係者に会社の考えが伝えられた。

 それぞれのチームが事業化を目指し、自立する未来を描くリーグワン。しかし現状は、親企業のサポートを受けて成り立っている。
 運営費は決して小さな額ではない。会社の業績悪化により、ラグビー活動の継続に障害が出ても不思議ではない。
 それは頭では理解している。

 それでも、ブルースのラグビーをこれからも見たいと強く願う。
 他と違うメンバー構成で、異質のラグビーを展開するチームだ。
 ついでに、練習グラウンドへの入り口の目印はラブホテルで、芝に立つと波の音が聞こえる。そんなところも、他のチームにはない。

 会社には、特別な集団を有していることを誇りにし続けてほしい。
 社名が業界を超え、広く知られるようになったのはラグビーの力も大きい。
 なんとかチーム活動を続けていく道を探してほしい。

 それが叶わないのなら、福岡で、九州で、日本ラグビー全体で、独特なカルチャーを持つチームを存続するアクションを起こしてほしい。
 1994年の創部以来、海外からのビッグネームの力を借りることはあっても、土台を成しているのは叩き上げの選手たち。
 才能の数に頼らない強化は、これまでもこれからも、国内の多くのチームの参考になり、希望の星であり続けるから。

 自分がなぜ、こんなにブルースの思想や哲学が好きなのか振り返ってみた。12年前のラグビーマガジンに書いた記事に、その理由の多くがあった。
 2009-2010年シーズンのブルースは、6勝7敗でトップリーグ14チーム中7位。翌シーズンは5勝1分7敗で8位だった。
 際立った成績ではないけれど、選手たちのバックグラウンドを考えれば、中位に食い込んだのは拍手ものだった。

 アタッキングラグビーを標榜しているチームは当時からたくさんあった。ただ、ピッチの上のパフォーマンスにそれぞれのカラーは表れる。
 多くのチームがセットプレーとブレイクダウンに注ぐ中、ブルースは持てる力すべてを、走ること、つなぐことに費やしていた。

 当時在籍していた小野晃征(SO/CTB)が、入団したばかりのカーン・ヘスケスに「うちのFWに似ているチームって、ニュージーランドにあるかな」と聞いた時の答がおもしろい。
 ヘスケスは、「ないない、こんなに押されることはないし」と笑った後、言った。
「ただ、こんなに走れるところもないよ」

 そのヘスケスは爆発力があるランナーと広く認識されながら、ニュージーランドではスーパーラグビーでプレーすることはできなかった。
 そんな時にブルースが声をかけた。

 無名のニュージーランダーがトライを量産し始めると、同監督のもとには他チーム関係者から「ヘスケスのエージェントはどこ? 特別なルート?」と問い合わせが相次いだらしい。
 藤井監督は「特別なことは何もないんですけどね」と笑って言った。
「他チームも知っているエージェントだし、たぶん渡されている資料も同じ。ただ、見ている方向が違うだけです」

 選手評価のグラフを見る時、多くのチームがオールブラックスのような、平均のとれた、すべてに点数の高い選手を探す。
 しかし同監督は、グラフの形がいびつでもいいから、「どこか尖っている選手を好む」と言っていた。

 ヘスケスについて、「ニュージーランドではキックがうまくないなどの理由で、上からは声がかからなかったようです。でも、うちは、トライがほしいときに取ってくれる。それだけでいい。あの爆発力は人為的に作れないから来てもらった」と話した。
「他チームはSOを外国から連れてきてゲームメイクを任せようとしますが、自分たちが必要なSOは自分たちで作れるでしょう」と明確だった。

 持論があった。
 大きくて速く、スキルもある。そんな日本人選手は滅多にいないし、いたとしたら、獲得合戦に加わらないといけない。
 そんな競争に勝つことを考えるより、少し身長が低かったり、ひとつふたつできないことがあって有名選手の陰に隠れているけど、何か光るものを持つ選手を見つけ、鍛えたい、と考えていた。

「だって、ラインアウトを取るにも、そこまで大きくなくていいでしょう。何センチか小さくても、走り回れる方がいい(このチームには合っている)」

 当時、「茶漬け」という愛称のPRがいた。永谷一樹は、鹿屋工(鹿児島)、志學館大と、陽の当たらぬ道を歩み、ブルースに入団した元NO8だった。
 最初は全然通用しなかった。コーチの方がスクラムは強かったそうだ。
「でも、相手が疲れている後半に投入すればなんとかなった。そこでなんとかスクラムを組み、得意の走りを見せてくれ、と。何度もオーバーに入ってくれたら、それでいい」
 茶漬けの活躍には、ブルースの哲学が詰まっていた。

 その日の取材の最後、ヘスケスに、フィアンセ(当時/現夫人)で女子NZ代表のカーラ・ホへパさんのブルース・ラグビー評を尋ねた。
「あの展開、速すぎるでしょう。もっと落ち着いてやればいいのに、と言っているよ」と返ってきた。

 それに対してのヘスケスの答えで、記事は締めくくられていた。
「でもね、ブルースのみんなは速いとは思っていないんだよ、と言ったんだ」

 これからも、いろんなヒントが詰まっているリポートを読者に届けたい。
 ブルース、活動継続へ。
 その記事を何よりも書きたい。

【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。1989年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年からラグビーマガジン編集長。


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