【コラム】あなたのクラブの「1万年にひとり」。
ニース対オールブラックス(https://www.youtube.com/watch?v=l25oZ-DyrVs)。1989年の試合だ。6分56秒から7分7秒。オールブラックスが乱れた球をモール再構築に持ち込もうとする。伝統の黒ジャージィでなく、この日は白をまとうニースの背番号1がからむ。上体を揺する。楕円球はポロリとニースの側に落ちて、ただちにカウンター攻撃。確かに全身にパワーがみなぎっている。15-26の善戦だった。
1994年の「パンチ」も映像に残る。カーディフの背番号4、スチュワート・ロイに的確な一撃を命中させた。『Wales Online』を引くと、夕刊紙のサウス・ウェールズ・エコーは次のように表現した。「地獄のパンチだ。30年におよぶ羊飼いの経験がそこにこめられていた」。どうやら直前にロイがラックでニースの選手を踏んだらしい。
殴られた者が気になった。細身のロックは1995年のワールドカップのジャパン戦に最後の8分だけ出場していた。ウェールズ代表でのそれが唯一のキャップである。ケンブリッジ大学で医学の学士号を得て整形外科医となった。
剛毅なブライアン・ウィリアムズを元同僚が語っている。「汚い選手ではなかった。ただジャージィをつかまれるのが嫌いだった」(同前)。いますね、そういう人。そして、この機動力にたけるプロップは軽量だった。185㎝の89㎏。だから、ニース市民、チーム仲間、対戦相手はとっくに実力をわかっているのに、ウェールズ代表のセレクターはつれなかった。キャップ数は1990年と91年に得た「5」にとどまる。1983年のデビューから95年の引退までクラブの前線を支えたタフガイにしては遅くて少なかった。
ニースの元コーチでウェールズ代表21キャップのブライアン・トーマスは生前、ブライアン・ウィリアムズを前掲メディアにこう評した。「1万年にいっぺんしか出現しない」。キャップ5にして1万年にひとり。そして「彼を自動的に選ばない選考委員は」。そのあとに不穏当な表現を続けている。
さてリーグワンにも「ブライアン・ウィリアムズ」はいる。ファンには「この人をジャパンに」「この人がキャップなしとは道理が通らぬ」と声に出す権利がある。代表批判ではない。クラブ愛の当然の発露だ。
もし自分がクボタスピアーズ船橋・東京ベイの熱烈な支持者なら叫んでみたい。
「末永健雄に桜のエンブレムを」
放送解説で凝視、身長だけが平凡で、体格やスキルや根源の生命力は非凡なフランカーの存在が大きくなった。暴れ牛にタックルを仕掛けたニースの男とちょっと重なる。