【ラグリパWest】小さい体で頑張りました。魚谷勇波 [関西学院大主将/フランカー]
小さい体で頑張りました。
ラグビーの通信簿があれば、魚谷勇波(うおたに・いさな)は、ずっとそう書かれて来たに違いない。
身長は公称168センチ。
「167センチはあります。でも測る時に少し背伸びをしたかもしれません」
細い目がさらに細くなる。
大学のフランカーとして、トップチームでもっとも低いだろう。そんなことはどこ吹く風。主将として関西学院の先頭に立った。
監督の小樋山樹(こひやま・しげる)はこの秋の全8試合に先発させた理由を話す。
「スタッツ(統計)を見れば、そのタックル回数は群を抜いています。トライになる危ないシーンを何度も救ってくれています」
主将は大学と中学。高校では副将だった。キャプテンシーは筋金入りだ。
その魚谷が試合後のロッカーで号泣し、「ここからがスタートや!」と後輩たちに絶叫する。12月11日、関西Aリーグの入替戦。48−17で大体大を破り、残留を決めた。
「泣くつもりはなかったけど、泣いてもうて…。下級生たちはチームのためにやってくれました。普通は負けているし、もうええわ、ってなっても当然なのに、必死で戦ってくれました。そのことに感動しました」
関西学院はリーグ戦を7戦全敗で終えた。負けた理由は色々ある。昨年12月から4月末まで約4か月間、チーム練習ができなかった。コロナ罹患者が出たこともあって、大学から活動を止められた。
「それは言い訳になりません。夏合宿はできました。それよりも、ピークを初戦にもってこられなかったことがありました」
関西学院は前年4位。対戦は昨年の下位からになる。初戦の立命館に24−43で敗れる。そこからずるずる。入替戦出場は2003年にAリーグに復帰して以来3回目。ただ、全敗は始めてだった。
「先を見据えた戦術やメンバー選考も必要でした。ムービング・ラグビーを標榜していましたが、相手が強いとボールが動かせない。そのことに声を上げなかった自分が悪いです」
関西学院は伝統として学生の自主性を尊重する。その頂点に主将がいる。「自分が悪い」の言葉はそれを踏まえたものだ。監督はフルタイムではない。小樋山もスポーツ経験者の転職や採用支援をする会社に勤務している。主将を選考する時も、最初に出た名前は違った。41人の同期が話し合った結果、魚谷に落ち着いた。小樋山もそれを認めた。
「仰星の時は100やったことのうち、10を出す。湯浅先生にもそう言われました。このチームの場合は10やって10出した方がいいと思います。100準備すると混乱します」
大阪・勝山中から進んだ東海大仰星では、高校屈指の知恵袋、監督の湯浅大智から様々な戦い方を授けられた。3年時には副将として全国制覇をする。主将は早稲田を率いる長田智希。97回大会(2017年度)の決勝は大阪桐蔭に27−20。仰星にとっては歴代5位、5回目の優勝。その過去との対比である。
「戦術を絞る」
藤島大の言葉である。弱者が強者に勝つためには色々なことに手を出さず、ひとつを突き詰める。精度を高める。22歳はラグビー界随一の執筆者と同じところに行きつく。
「人生、うまくいかない、ということを学びました」
高校では全国優勝。大学では1年から公式戦出場。2年時には56回目の選手権で8強入り。明治に14−22で破れたが、後半37分、交替出場。初めて秩父宮の緑芝に立った。
「テレビで見ていた場所。感動しました」
そして、主将の今年は入替戦に回る。
「やっぱりラグビーはチームスポーツなんや、って思いました。自分がどれだけ頑張っても、15人全員がやらないと勝てません」
4年になって下宿した。家賃18000円。風呂、トイレ共同の物件である。
「ミーティングが増えましたから」
関西学院を選んだのは、自宅から通える、ということもあった。親に負担をかけないため、3年までオフの日に居酒屋でアルバイトする。その貯金を切り崩して家賃を払った。自分はかけた。ただ、周囲を巻き込めたかどうかは疑問が残る。
「みんなでやることを根づかせる。それを当たり前にした時に、勝利、そして日本一というものが見えてくると思います」
就職は東レにゆく。大手化学企業だ。男女のバレーボールチーム「アローズ」を有する。ともにVリーグの一部に所属している。スポーツに理解がある会社だ。
「先輩訪問をしたら、楽しそうだったので」
1年時の主務、小野晶が誘ってくれた。ラグビーは考え中だ。
「やりたくなったらやるかもしれません」
この2021年は10年のラグビー歴でもっとも濃密だった。その分、小さな体にたくさんの経験が蓄積される。珍しい「いさな」の名は鯨(くじら)の別称。両親は「鯨のように大きな存在になってほしい」。その願い通りの未来に、大学4年の時に苦しんだ分だけ、なりそうな予感はする。
人生、一時の勝ち負けは取るに足らない。